本書には三つのルールがもうけられている。
- 本屋への道のりを言葉だけで表現する
- 出発地点の最寄り駅を統一する
- 共著者ふたりは別々に行動して取材する
これまで本連載では、一般的に本屋本と呼べないような本も取り扱ってきたが、本書はジャンルでいうと本屋本だと言えるが、にもかかわらず、本屋への道のりという周縁から本屋の姿を浮かび上がらせている点で、独特であり、ある種のユーモラスを含んだ一冊になっている。
じつを言うと、今回の連載は十回目だが、毎月の連載が初めて途絶えてしまった。しかもかなりあいてしまった。これには理由があり、それがこの『言葉だけの地図』という本に大きく関わっているので、先に書いておきたい。
今年の3月末に早稲田の本屋、NENOiが閉店した。僕がZINEをつくって最初に置いてもらった本屋であり、初めて絵の展示をしてもらった本屋であり、もっともお客として通った本屋だった。じっさい、閉店の最終日もイラストレーターの小泉さよさんと二人展を開催させてもらい、本屋の終わりを見届けることにもなった。
そして、NENOiの終わりと重なるように、僕は僕で水道橋に機械書房という本屋を開店することになり、日々、準備を行っている状況で、NENOiの什器を譲ってもらうことに決まっていた。つまり、僕の活動のほぼすべての関わりがある本屋がNENOiであり、そのNENOiから始まるのが、この『言葉だけの地図』という本なのだ。
第九回の終了後、本書を紹介することに決めたものの、すぐに第十回を書き出せなかった理由はここにある。NENOiがなければ、機械書房もなかったわけで、ここまで関係性が深いと自分の店を開店しないことには書けないという気持ちが生まれていた。極端な考えかもしれないが、僕にとってはそういう本屋だったのだ。
そして、今日は開店から四日目を迎え、台風の影響で豪雨、もうお客さんも来ないだろうという状況でこの文章を書いている。ようやく一心地ついて、『言葉だけの地図』について書こうという気分になれた。私情の部分が長くなってしまったが、中身について入っていきたい。
本書は本屋への道のりのエッセイだが、重要なポイントは最寄駅を統一していることではないだろうか。例えばだが、僕はこの本に出てくる本屋に電車だけでなく、ランニングや車で行ったことがある。ランニングや車と比較して、電車に乗って駅から徒歩で向かうのとでは、目につくものをとらえて思考するスピードがまるでちがってくる。
本書のような速度で描写と思考を文章化するのには、この歩きの要素は必要不可欠だったのではないだろうか。目についたものがあり立ち止まるという場面もあるが、これも徒歩によるある程度の遅さがあるから過ぎ去ることなしに、とらえられているように思える。そして、スタート地点が決まっていることにより、例え読者は街や本屋を知らずともある程度のイメージは付けやすいし、この道のりを同じように追体験することもしやすいだろう。
つくる側が意図していたことなのかどうなのかはわからないが、『言葉だけの地図』を読み考えさせられたことは、意識をめぐらし思考しみずからが先に進んで言葉にしていくという行為は、読書そのものなのではないか、ということだった。
ページを開くと先に宮崎智之さんの本屋への道のりを書いた文章があり、その次に同じ最寄駅から本屋までの道を辿り山本ぽてとさんが書く(記述の順番はこの後、入れ替わる)。書かれた内容は当然のことながら二人で違いが生まれるわけだが、不思議なことに、再読をしているような感覚に陥った。しかし、もちろん異なる書き手による文章なのだから、ずれている。ずれているのに重なっている。残像のように文章が頭に残ったまま、文章を読む。ちょっとあまり感じたことがない読書体験だ。
本屋本としてはたしかに変化球ではある。本屋そのものの描写が少なく、その手前の部分に重点を置いているのだから。ただ正直なところ、読み返せば読み返すほどに、本屋本というくくりにはまらない面白さがある本だという考えに行き着く。むしろこれは本屋本のふりをした読書論であり創作論なのではないか。同じ本を読んでもそれぞれの人によって読み方が変わるように、同じ最寄駅から歩を進めても寄り道があれば書き方も変わる。ここには、読むことと書くことの非常に重要な何かがあるような気がしてならない。
とはいえ、あまり形式を気にしすぎる必要もない。読みながら「宮崎さん、自動販売機で飲み物買いがちだなあ」とか「山本ぽてとさんの「沖縄トイレットペーパー産業史」を読んでみたい」とか、ついつい気になってしまうところがいくつもある。思わず笑ってしまうところも。小さくてチャーミングな本だと思う。この本を携帯して、軽やかに本屋に足を運ぶ人が増えたら楽しいなと思う。読書好きにとって本屋は楽しい場所だ。その楽しい気持ちを道中でより高める効果が本書にはきっとある。だったらやっぱり、本書は間違いなく本屋本なのである。