ここ1,2週間で読み終えた本。途中まで読んでいたのを読了したり一気に読んだり。最近はSNSもネットもなんか違うなということでようやく本を読みたいタームが来た感である。
『モダン』(原田マハ、文藝春秋)
原田マハのアート小説はいつ読んでも良い。気を抜きたい時もちょっと勉強した気になりたいときも良い。今回はMOMAを舞台にした短編集。アンドリュー・ワイエス『クリスティーナの世界』のについて語る部分が泣けた。そうなんだよ、足掻く人、意志のある人が好きなんだよ僕は。
『料理道具屋にようこそ』(上野歩、小学館)
茹だるように暑い夏はずっと疲れてるのにリラックスできないので気を抜きたくて買う。取材で訪れた山陽堂書店にて。浅草はてんぐ橋商店街にある料理道具屋を舞台にしたお仕事人情小説である。こういうお仕事ものは割と好きなのだなと発見したのだった。学生時代に観ていたトレンディドラマを観ているのと同じような気分になって、ほけーっとなって癒されるのだ。
『建築探偵の冒険 東京篇』(藤森照信、筑摩書房)
どこで買ったっけな。たしか昨年の夏、休暇村で連れ合いが読んで「面白かった」と絶賛したのだったが寝る前に少しずつ読んでいたら読了まで半年以上かかってしまった。倫理観が古いので要注意だというので少しだけ身構えて読んだら、確かにこれは今書いたらNGだろうなーという箇所が散見され、とはいえそこはそれ、こういうのは割り引いて読まないと楽しめるものが減るばかりなので大丈夫である。まあそんなに酷くなかったし。
それはそれとして、東京にある近代建築について持ち主の遺族や資料にあたりつつ軽快に蘊蓄を語る内容なのだが、この語り口が素晴らしく。「ボッボッボクラの建築探偵団」とか書かれた日にゃもう嬉しくなっちゃったのである。
それにしてもいまこうやって書いてみると語り口系の面白さを伝えるのは難しい。ボッボッボクラのなんちゃら、なぞは本文を読んでいないと可笑しみが分からないし何より自分で書いていてもおもしろさが分からなかった。あれ、何が面白かったのだろう?
ライブ感が大事なので仕方ないことだとは思う。仕方ないのではあるが読んでいて楽しかった感覚だけは覚えているから楽しかったのだろう。全然関係ないが田園調布が渋沢栄一によって作られた街だというのは知らなかったのでおもしろかった。
『木挽町月光夜咄』(吉田篤弘、筑摩書房)
吉田篤弘の本は見かけたらとりあえず買うようにしているし店でも揃えているのだがこれは七月堂古書部で買った。
はじめてのエッセイ集だというから期待して読んだら期待通りの楽しさで、同氏の物語に出てくる主人公氏のウダウダ具合がそのまま出ており、それでいて現実を描いているのが良い。
さらに言えば現実を描きながらどう考えても物語なんじゃないかという雰囲気も感じられ、つまりはふだんの小説が現実から少しだけ浮いたところ(どこかで聞いたことあるなこの表現。伊坂評かな)だとしたら、本書はその浮き具合が少しだけ地面に近いところにあるというか、ほとんど地面なのだけれど時々跳んでいる感じというか。
跳んで、と書いたが飛び跳ねているわけではなくて時々浮き上がるくらいであってそういう曖昧さがまた良く。日常に嫌気が差してくる瞬間に読むとスルリと生活が異化されて新鮮な気持ちになってくる。小説で語られている物語なんてものはその気になればすぐそこにあるのかもしれないと思わせてくれるのである。
『AI研究者と俳人』(河村秀憲・大塚凱、dZERO)
うたとポルスカさんに勧められて買う。
AIの話は自然と人間とは何かという方向に向かうのが良い。俳句については季語があることくらいしか知らなかったけれども少し詳しくなった気になれるし、なぜ人は俳句を詠むのか。なぜAIで俳句を詠むのか。といった問答のあたりはとてもエキサイティングで嬉しくなったのだった。AIものはもっと読んでみたいなあ。でもなあ。本屋の書棚を眺めるとビジネスの話が多くなっちゃうからつまらないんだよなあ。もっと射程の長い話が読みたいのだ。何があるかな。