今春、江古田に本屋をオープンする予定の百年の二度寝さんの連載第二回目です。
元書店員がいかにして独立書店になったのか。第二回目は書店員時代のお話。
その2:巨大な書店で働いていた
私の職場だった本屋は笑っちゃうほど巨大な店であった。どれくらい巨大かというとバイトを始めた時点では売り場面積が世界一だったくらい。ワンフロア分だけでも「大型書店」を名乗れるサイズの売り場が地上9階地下1階の10もあり、その敷地が小ぶりな喫茶コーナーの他はほぼ本棚でうまっているという、ちょっとどうかしている店である。
勤めるまではあのスペースを埋め尽くす量の本を集めるのは大変だろうな、と思っていたのだけど実際はその逆で、わたしたちは店からあふれ出さんばかりの本の山を、なんとか売場に収めることに、日夜苦労していた。
毎日4トントラック数杯分の本が、取次(本の問屋のこと。「専門用語をお客様相手に使う時は必ず意味を補足する」というのは当時の上司の教えである)からやって来る。その他、中小規模の取次からの納品や、宅急便で入荷したり出版社の方が持参したりで取次を通さない本も次々と入荷してくるので、サッカーの試合でもできそうなフロア10杯分など、あっという間に埋まってゆく。
入ってきた本は店頭にしろストックにしろ、お店のどこかに置き所を見つけなければならない。その場所を作るために、右の山を左に積みなおし、左の山を店頭に無理やり積み上げる。それが私たちの主な業務だと言っても過言ではない。
こうやって鍛えられたので、私は相当な力持ちである。書店の後に勤めた会社では、社長(サーファー)にすら持ち上げられない荷物をアラフォー女子社員の私がひょいひょい持ち上げ運び出すので、ちょっとしたビックリ人間扱いであった。
力仕事の他に叩き込まれたのは接客である。本屋に来るお客様というのはは、私たち店員の友達ではない。調べ物だったり、生活上の必要だったり、あるいは良書に出会って生活を充実させたいという目的を持っており、その目的を果たす手段として書店に足を運び、自力では目的の本を発見出来ないので、店員のサポートを欲している人たちだ。
そんな人達と対峙するうえで、その店員の嗜好や趣味はあんまり関係ないし、役にたつとも言いがたい。私は山田風太郎先生の「人間臨終図鑑」全3巻を坐右の書としており、友人知人で人生に悩んでいる人がいたらそれをそっと差し出す準備も出来ているが、相続問題や自己啓発の本を求めて問い合わせてきたお客様にこれを案内したら、後ろからハリーポッター(の後半の分厚いヤツ)で殴られても文句は言えないだろう。
自分の目的を正確に把握しているお客様だけではないので、問い合わせが曖昧模糊としていたり、もうどうにでもして……とこちらに全てを預けられたりもする。だが、そこでおすすめするべき本は(もちろんよい本であるべきだけど)私がよい本と信じている本(つまり「人間臨終図鑑」)とは別物なのである。
詠み人知らずどころか、私自身が無意識にでっち上げた可能性のある書店格言に「お客様が求めている本について、誰よりもいちばん良く知っているのはお客様自身」というのがある。お客様にとっての「よい本」は私の心の書庫にではなく、お客様の中にあるのだ。私たちの仕事は、お客様との対話を通して心の書庫を覗かせていただき、その奥でほこりをかぶっている「お客様にとってのよい本」を発掘し、そのほこりを払って差し出すことだと私は思う。
そうやってほこりを払ってみたら「人間臨終図鑑」だったら最高だし、その場でフォーリンラブという事態すら予想されるが、当然ながらそのような奇跡は起きなかったので、私は毎日粛々とマイクロクレジットや不動産投資や内容証明の書き方の棚にお客様を案内していた。
こうやって書いてみると、巨大書店時代の自分はどこまでも受身だったんだなと思う。着々と送り込まれる在庫、次々と投げられる問い合わせをひたすら受け止めて右往左往する日々。
私が大量に触ってきた(読んだとは言ってない)自己啓発の本だと絶対に認められないあり方だし、これを読んで「そんな仕事、面白いのか?」と思われる方もきっといるだろう。
でも、まあ、面白かったんですよ。名著の予感を放っている本から、企画立てた人に半年ほど休むよう宣告したくなる本までバカみたいに大量の本に触れることも出来たし、「さっきテレビで紹介してた本をくれ」とか「就活しない息子を奮い立たせる本はないか?」とかバラエティに富みまくった問い合わせに翻弄されるのも、それはそれで(時々もの凄く疲れたが)楽しかった。
いまは書店が置かれている環境がさらに厳しくなっているので、あの頃の私みたいな態度では到底生き残れないのかもしれず、よくよく考えると私もまったく生き残れてないわけだが、ひたすら受身の書店員にだって「受けの美学」というか「矜持」みたいなものはあった。
少なくとも、売れろと念じながら積み上げた本の山が着々と低くなっていく喜び、なんとかお客様の意図を汲んで問い合わせ対応した後の「ありがとう」は決して私を裏切らなかった。これからもきっと裏切らない、と、私は信じている。
(つづく)