久しぶりの本屋連載です。今回は今春、江古田に本屋をオープンする予定の百年の二度寝さんにお願いしました。
実はBOOKSHOP TRAVELLERで棚を借りてくれてもいる(開店前は「むかで屋BOOKS」という屋号でした)方です。
元書店員がいかにして独立書店になったのか。第一回目は百年の二度寝さんの書店員前史です。
その1:書店に勤めるまで
長崎の片田舎で育った私にとって、都会というのは「大きな本屋のある土地」のことだった。県庁所在地である長崎市は「好文堂書店」、九州一の都市である博多(福岡市)は「紀伊國屋書店」や「丸善」の記憶と結びついている。
地元にも本屋さんはあり、いま思い返すと田舎の書店にしては吟味された品揃えだったのだけど、店に並んでいる本の絶対量が違ったし、コミックと雑誌中心な品揃えだったので、朝日新聞の書評や『ダ・ヴィンチ』で紹介される類の「ちょっとした読書家が読む本」を手にいれるには都会まで行く必要があったのだ。
ネット書店以前にインターネットそのものが普及しておらず、書籍の流通体制も不完全。長崎では雑誌の最新号が東京より一週間近く遅れて店頭に並んでいた頃の話である。
いまでも生々しく覚えているのは、地元の本屋で新刊コーナーに、某新興宗教教祖が書いたビジネス書もどきが3種類くらい並んでいるのを見つけた時の(その教祖さんを心から信じている方には申し訳ないけど)心底げんなりした気持。そうか……私の地元で需要があるのはこういう本だけなのか……としみじみと絶望した。
大人の事情を知ったいまにして思うと、あの教祖さん(長崎に信徒が多いわけではない。というかたほぼいない)の本があれだけ並んでいたのは、書店員さんが注文したからではなく、本の問屋さんである「取次」が自動的に配本してきた(見計らい配本、パターン配本と呼ばれる仕組みがあるのです)からなのだけど、バカな高校生だった私は、「この町の器は俺が生きて行くには狭すぎるぜ」ぐらいのことは思っていた。
私がその店の店員だったら後ろからゼクシィの六月号で殴っていたと思う。
18歳の時に上京して、いちばん感動したのは文庫の新刊がどの本屋にもちゃんと揃っていることだった。長崎のお店だと新聞広告に並んでいる書籍の半分程度しか店頭に並ばなかったのだ。
お店によっては岩波新書や岩波文庫が若干黄ばんだ姿で鎮座していたりもする。私は上京してはじめて岩波文庫の種類がすごくたくさんあることを知ったし、岩波文庫よりもっと難しそうな本も大量に出版されていることを知った。
古ぼけた雰囲気の本屋さんでも、並んでいる本の種類の多さや密度が故郷のお店とはまったく違った。長崎時代は「レア」本に認定していたちくま文庫も、当時は傑作を連発していた別冊宝島も、さりげなく並んでいた。
私はちょっと手を伸ばすだけでこれだけ大量な情報に触れられる状況にただただ圧倒されていた。これを全部読むなんて絶対無理だと、誰も全部読めとは言っていないのに絶望していた。
この時点で手に触れた本を片っ端から読んでいたら、私の人生も違った物になったかもしれない。だけど、私がひきつけられたのは本そのものではなかった。そう、私は「本屋」に魅入られてしまったのである。
大学時代の私は友達が多いとは言えず、今の学生さんみたいに勉強に励んだりもしなかったので、一人の時間だけは大量にあった。何もすることがない時(することなんて常になかった)私はふらふらと本屋に向かった。
いまのように「棚を読む」なんて芸当は出来なかったので、いつも立ち読みに勤しむ日々。たまに文庫本をレジに差し出すほかはめったに買い物しない。いまにして思うと本当に困った客だし、客ですらない。
そうやって余白だらけの日々を塗りつぶしていると、時々突然気持の平衡を失って、立ち読みしながら号泣したりした。貧血を起こして座り込んだこともある。
自分で書いていて自分自身のダメ客ぶりにひいてしまう。私がその店の店員だったら、広辞苑でも引っ張り出して後ろから殴りつけると思う。
しかし、そんな私を受け入れるとは言えなくても、何となく放置してくれる空気が本屋にはあった。言葉を交わすのは、入店時の「いらっしゃいませ」とたまに何かを買ったときの「ありがとうございます」だけ。淡泊だけど包容力もあって、どこに行くにも息が詰まる思いをしていた私が息継ぎを出来る「すきま」がそこにはあった。
そうやって私の居場所になってくれた大泉学園駅前のお店が閉店してから10年近くたつ。
最後に購入した本が伊藤礼先生(大学の恩師なのである)の「耕せど耕せど」と、上原善広さんの「私家版差別語辞典」だったことはちゃんと覚えているくせに、お店の名前を記憶していない自分に唖然とする。どこまでもダメな客だ。
私の大学生活は思い出に乏しく、就職活動に関しもて思い出すに値するものはない。大学の授業はほぼ終わり、就活なるものに見切りを付けた22歳の夏に、私はとある書店でアルバイトを始めた。一日4~5時間週に4日ほど、ただただレジを打ち続ける日々から、私の書店員生活が始まった。