福島駅から東に歩いておよそ10分。レンガ通りと平和通りの間に今回訪れた西沢書店大町店(以降「大町店」と記す。長野の店やその他各支店を含むものについては「西澤書店」を使う)があります。両方の通りを貫く形で店舗があり、福島市内の本屋でもかなり大きいところではないでしょうか。実際に坪数などを調べているわけではないのでこれはあくまでも想像で。
今回は、ここ大町店と福島県立図書館での資料調査を目的とした滞在でした。北海道東日本パスを利用し、前日までは相馬野馬追を見物、相馬から福島はバスが出ているもののフリーパスはあくまでも鉄道利用なので岩沼経由で福島へ移動(途中仙台に立ち寄り、古本あらえみしに行ってました)。最終日を使って大町店へ。実は御書印を集めており、福島県1軒目の御書印となりました。集めていると言っていながら未だ1冊目が終わりません。
店について
店内は非常に広く(広く、というよりも縦に長く)、取扱っている本のジャンルは幅広いものでした。実際の棚ジャンルについては、HPに記載があるので、こちらを見てもらえればと思います。2階にはイベントスペースのような空間がありました。この大町店、官報をはじめとした政府刊行物を取扱っている本屋なのです。政府刊行物を取扱っている本屋はその地域で有力な店であると個人的に考えています。
棚を物色して本を選び、御書印(2023年は京都の法蔵館書店から始まり、板橋の本屋イトマイまで、計12軒でした)をお願いするした後、少し話を伺うことに。レジの後ろには昔の大町店の写真があり、やはり古くからやっていることは間違いなさそうでした。ここ大町店、善光寺門前にある長野西澤書店とかつては本店、支店の関係にありました。福島の西沢書店もかつては支店があったものの、今では大町のみとなっています。
資料を見てみる
店舗のHPには「100年のあゆみ」が載っており、そこには1909(明治42)年、開店当時の新聞広告が載っていました。この広告を確認すると、開店記念で書籍や雑誌の割引が行われており、明治の終わり際と現在の書籍販売制度の違いが見えてきます。開店の年についてはこれでほぼ確定です。大量の資料をひっくり返して調べなくていい、ということは大変助かります。ですが、「これで終わり」というのも面白くないので、もう少し色々と見ていきたいと思います。
国会図書館デジタルコレクションを色々調べていると、斎二郎編『話題の人々 第1編』(福島通信社)という資料を見つけました。そこの「奥田専藏氏」に「明治丗五年初めて今の西澤書店の場所に開店し、四十二年三月大町元庄司薬店跡に移り」という記述を確認しました。この奥田専藏は、福島實業新聞社から出ている『電話早わかり : よろつ重寶 大正13年10月現行』を確認してみると、時計店を営んでいた人物とのことです。現在大町店があるところは、どうやら時計屋だったようです。
その他、連載でおなじみの資料である新聞之新聞社『全国書籍商総覧 昭和10年版』(新聞之新聞社)の「福島県」には大町店関係の人物として、「小池勘次郎」が立項されています。開店について、「同店は明治四十二年二月、時の支店長寺澤福太郎(※筆者注「福」は旧字)氏が就任すると同時に創業」とあり、寺澤福太郎が最初の店長であることがわかりました。
この寺澤福太郎、福島縣學用品販賣合資會社や福島縣國定教科書特約販賣所の設立に寄与しています。福島縣國定教科書特約販賣所は『全国書籍商総覧 昭和10年版』によれば「昭和五年十一月二〇日、寺澤福太郎氏が先達で、福島市本町の鈴木嘉吉、耶麻郡喜多方町の瀬野作右衛門、安達郡本宮町の高橋新作の三氏と共に設立し、寺澤氏がその代表社員に就任」とあるのですが、『官報 1911年11月11日』を確認すると同名の組織が登記されていることを見つけました。
寺澤福太郎は1931(昭和6)年に亡くなっており、その後は長子の寺澤一郎が店長に就任。その一郎は2年後の1933(昭和8)年に退店、その後小池勘次郎が「經営の任」に当たり、「使用店員二十四名の多數を擁して活溌なる營業を續け他の追随を許さゞる程の大發展をなせり」(新聞之新聞社『全国書籍商総覧 昭和10年版』(新聞之新聞社)より)と書かれるように、小池の代で大町店は発展したようです
寺澤一郎が比較的短期間で退店した経緯は、長野の本店との間でいざこざがあり、これは『全国書籍商総覧 昭和10年版』に「西澤本、支店の抗爭」として立項されています。当時の書籍にわざわざ書かれるということは、それだけ西澤書店が大きかったと言えるのかもしれません。
大町店は戦前は長野の本店との本・支店関係は解除されていないようです。これは西澤保佑『あのスキーはどこへいった?』(河出書房新社)に「昭和18年、長野市の大門本店と福島市の福島店を除き、残りの10支店を独立させる決断を余儀なくされます」と書かれているためです。戦後の資料を見てみると、日本書店組合連合会が出している『全国書店名簿』では、1960年版、1964年版、1967年版、1968年版、1970年版、1971年版、1973年版で「㈱西沢福島支店 三浦安行」の記載を確認しています。果たして長野西澤との関係はいつまで続いたのか、気になるところです。
西澤書店の支店網
今もこの名を名乗っている店がいくつか残っているものの、1943年の支店独立後の店は果たしてどれくらい残っているのでしょうか。自分が知っている範囲では上田にまだあったはずです。
長野善光寺門前にある長野西澤書店を含め、「西澤書店」全体を少し見ていこうと思います。しかしながらここですべて書いてしまうと、今後長野西澤書店で書くネタがなくなるかもしれないので、ここでは戦前の支店網について書いていきます。なお、大町店を「福島支店」として記載します。福島にある本屋の話ではありますが、長野の本屋について言及します。「これ、福島の本屋の話でしょ?」と指摘が来るかもしれませんが、どうしても書いておきたい話なので、ご容赦ください。
長野県の新刊書店について調べる時に使う資料である『長野県書店商業組合八十五年のあゆみ』刊行委員会 編『長野県書店商業組合八十五年のあゆみ』(長野県書店商業組合)の「書店プロフィール」では、長野西澤書店について「明治に入ってからは、二十六年の上田店をはじめ、飯田、野沢(現佐久市)、福島、高田、さらに昭和四年の宇都宮まで、県内外に十数店の支店を出す」と書いてあります。西澤書店は戦前の東日本において大きなチェーン店であることがここからわかります。
では、もう少し具体的に資料を眺めて行きたいと思います。最初の支店である上田店は元木貞雄編『日本地理談 : 家庭教育』(榊原友吉)に「仝 上田 西澤支店」と出てきます。この本の発行が1893(明治26)年なので、確かにこの年には上田支店があったことが確認できます。福島支店についてはすでに書いているので省略。
大正期の資料で確認すると、信濃毎日新聞社から1924年に発刊された『信毎年鑑 大正13年』に掲載されたパイロット高級万年筆の広告では、上田、飯田、野沢、高田、福島、若松(会津若松)の支店が確認できます。それ以外に全国書籍商組合聯合会の『全国書籍商組合員名簿 大正13年1月現在』を見ると、高田(新潟県)、野沢、飯田、福島が確認できます。当時の高田店は富澤操、野沢は柳澤三喜藏、飯田は小池勘次郎、福島は寺澤福太郎となっていました。なお、小池については『全国書籍商総覧 昭和10年版』に「明治二十三年長野市西澤本店に入店、同二十六年十二月に上田支店長に昇認、同三十五年二月飯田支店長に轉じ、昭和八年四月福島支店長に榮轉」とあり、店舗を移っていることがわかります。
また、『全国書籍商総覧 昭和10年版』には富澤も立項されています(富澤については「新潟県」の項を参照)。若松支店の西數惠も立項されており、確認すると、「西澤本店に入り、十七ヶ年の久しきに亘り、大正四年支店を開業する迄本店に勤續、後上田支店に轉じ、再び本店に歸任、次いで若松支店長となり」と書かれています。新たに支店を任せられる人物は、上田支店の店長を経験するというルートがあるのでしょうか。
昭和期の資料で支店を確認してみます。1928年に発行された東京出版協会編『特選書籍商名簿』(東京出版協会)では、先述した箇所以外に長野県で伊那、須坂、小諸、屋代に支店が増えたことを確認しました。しかしながらこれだけでは、宇都宮の存在が確認できていません。果たしていつ頃宇都宮に支店ができたのでしょう。
戦前から続く社史のない本屋を調べる場合、非常に有効な資料があります。官報です。官報を用いた調査については小林昌樹『調べる技術――国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』(皓星社)からヒントを得た方法です。官報の登記事項を地層のように集めることで、本屋の活動を見ていくのです。ここからは登記事項を確認し、支店についてもう少しだけ見ていきましょう。
『官報 1929年08月16日』を確認すると、「株式會社西澤書店支店設置(支店)」という内容が書かれており、そこには「昭和四年六月三日支店ヲ左ノ地ニ設置ス 長野市大門三十八番地 宇都宮市馬場町三千二百十五番地」とあり、宇都宮支店の存在が確認できました。この宇都宮支店の店長は、新聞之新聞社編『出版人名鑑』(新聞之新聞社)によると「山田直實」という人物であることがわかります。
支店に「長野市大門三十八番地」の住所、つまり善光寺門前にある長野西澤書店が記されています。西澤保佑『あのスキーはどこへいった?』(河出書房新社)を確認すると、「昭和3年には、神田神保町に西澤書店の書籍仕入れを行なう西澤東京事務所を開設しています」という記述がありました。再び『官報 1929年08月16日』を確認すると、「株式會社西澤書店移轉(支店)」とあり、そこには「昭和四年六月一日本店ヲ左ノ地に移轉ス 東京市神田区神保町十番地」とあり、西澤保佑が言及した神保町の「西澤東京事務所」が本店機能を有することになったようです。
さらに『官報 1926年11月20日』を確認してみると、「株式會社西澤書店支店設置(支店)」の記述があり、そこには支店として「郡山市字本町二丁目十六番地」という、これまでの資料などで見たことのない、郡山支店の登録が確認できました。この郡山支店についてですが、『官報 1927年11月30日』に「昭和二年十月十九日 福島縣郡山市本町二丁目十六番地ノ視点ヲ廃止シ左ノ地ニ支店ヲ設置ス 長野縣埴科郡埴生村大字小島三千百三十六番地」の記載を確認し、数年間だけ存在したことがわかります。
たしかに西澤書店は、東日本に多くの支店を有していたことが、今回の調査でわかりました。本屋を調べる際に官報を利用するということがある程度有用であることを実感することができました。しかし、今回は国会図書館デジタルコレクションだけの調査のため、戦後の調査には官報情報データベースを見なければなりません。国会図書館デジタルコレクションと官報情報データベースの空白期間については、官報以外での調査になりそうです。
西澤書店について、この支店網がどのように機能していたのか、各支店に対する書籍取次のような役割を持っていたのかなど、今後も調査を継続するべき事項がまだまだあることもわかりました。この辺は調べるにも多くの資料を集めないといけないでしょう。
買った本
今回買った本は、西村慎太郎 『『大字誌浪江町権現堂』のススメ②』(いりの舎)と西澤保佑『あのスキーはどこへいった?』(河出書房新社)の2冊。前者は当地の本をと思い購入。後者については店の方に紹介していただき購入しました。
『あのスキーはどこへいった?』を購入する際、「古い本ですが、本当に買いますか?」と念押しをされたのですが、ここで紹介してもらえなければレファレンスで見つかったであろう本、この日は東北本線を南下して帰る日(県立図書館での調査に時間がかかり、結局福島~宇都宮で新幹線を使ってしまう)だったので、買わないという選択肢はありませんでした。
この本、西沢スキーというスキー板の会社についての社史的資料ではありますが、西沢スキーは「本屋がやっていたスキー会社」という側面もあるので、本屋に関する資料、とりわけ西澤書店の社史に近い位置づけに置くことができる1冊だと考えています。スキーについて興味のある方もいいですが、本屋に興味のある方にも読んでみると面白い本だと、個人的にオススメしたいです。