こんにちは。久しぶりに更新のBOOKSHOP LOVER和氣です。いやー店作りは難しいですね(→BOOKSHOP TRAVELLERのこと)。
まあそんなことはさておき、今日から新連載スタートです。本屋入門スイッチの受講生がはじめた日本で最も危険な絵本屋cohonの日常をお届けいたします。月1連載ですので、どうぞ気長にお付き合いくだされば幸いです。というわけで、どうぞ〜。
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歌舞伎町に合う音楽とは何だろう。
ソニー・ロリンズでは清廉すぎる。ウィントン・ケリーでは甘美すぎる。はたと趣向を変えて椎名林檎ではあからさまだし、菅田将暉の歌ではこの街には実直すぎる。
どれもがまぁまぁマッチするようでいて、ジグソーパズルのピースのようにぴたりと嵌まり込む音楽はなかなか思い当たらない。三面六臂の阿修羅像のように無数の顔を見せるこの歌舞伎町で、たった一曲を見つけ出そうというのは土台無理な話なのかもしれない。
コマ劇が巨大シネコンに生まれ変わった頃から、歌舞伎という街は猥雑な歓楽街としてだけでなく、観光地としての役割をも担うこととなった。ガイドブックを睨みつつ、ゴールデン街のオールド・スクールな風景をスマホに収め、区役所通りを子供の手を引いて歩く外国人観光客の姿は、今ではすっかり見慣れたこの街の日常だ。
しかし、それでも歌舞伎の本質は変わらない。グロテスクなまでにひしめく喧騒と照明は、それ自体が夜を彩るアクセサリーのように街そのものを飾り立て、アジアの歓楽街特有の煌びやかな陽と、そしてその裏返しである陰とをあらゆる場所につくり出す。
インカムをつけた客引きの勧誘、上質な漆器のようにぬらりと黒光るセダンの車列。あられもない姿で泥酔する女の肩を抱くホストと、紫煙をくゆらせながら情感もなくその痴態を眺める風俗嬢。土地も建物も人も、みな何かの縁でつながる街だ。
そんな街で私は絵本屋を始めたのだった。店の名はcohon(コホン)という。珈琲と絵本、だから、cohon。売り場は机ひとつだけ。ほぼ一メートル四方の面積で完結する、超極小ブックカフェだ。
それは街の灯りも途絶え始める大久保公園の外れに、週末にだけひっそりと出現する。
深夜、私はオーセンティックな給仕の服装に身を包み、髪を整えて銀縁の眼鏡をかけると、ひとり黙々と開店作業を始める。品揃えのコンセプトは《絵本を読まなくなったオトナにこそ、読んでほしい絵本》。珈琲はその場で挽き、その場でドリップする。
もちろん音楽も欠かせない。基本的に絵本の世界観を鑑みない趣味の選曲で、ジャズやワルツが多い。お気に入りは《Lean on me》。原曲のビル・ウィザーズよりもホセ・ジェイムズ版のカバーの方が曲調も歌声も柔らかく、私はこの曲を好んでかけている。
つらい生き方に苦しむ友人に向けて、どうか私を頼ってほしい。意地を張らず、連絡だけでもしてほしい。きっと私もいつかあなたを頼ることがあるから…、と穏やかに歌う。性善説的で牧歌的なこの歌が仄暗い公園のふちに響くとき、私にはこの一曲こそが歌舞伎のもう一つの本質だという思いを致さずにはいられない。
この街に生きる人々なら、きっと誰もが一度は経験するはずだ。歌舞伎が他のどの街よりもぶっきらぼうに、しかし決して何者をも排除しない場所だと実感する瞬間を。
当連載は歌舞伎のド真ん中に住み、ゴールデン街と二丁目を夜ごと彷徨いつつ、深夜に絵本屋を営む私の日常をありのままに述べるものである。
ほかと比べて明らかに異彩を放つこのコラムをここまで読んでくださっている時点で、おそらく読者のアナタもそれなりに物好きな方ではないだろうか。…とはいえ、よほど奇特な人物をしても、この絵本屋と私の存在については頭にいくつものクエスチョンマークを踊らしめていると思われる。
《なぜ歌舞伎町?》
《なぜ絵本屋?》
《誰が買うの?》
《そもそも言ってることの意味が何一つわからないんですけど??》
もっともである。率直なところ、私自身ひと月前にはこんな店を始めるなど思ってもみなかったし、そもそも歌舞伎に住み始めたこと自体が完全に想定外だった(不動産屋に歌舞伎の物件を問い合わせた記憶がない)。
我がことながらこの生き方に疑問が尽きていないのに、第三者の腑にすとんと落ちようはずもない。それらの謎と疑問を全六回で解き明かそうというわけである。基本的に波瀾万丈、抱腹絶倒。当局(W編集者)による検閲不可避のワード連発。日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常。
次回、《営業初日、スタッフが店に居座って帰らない》。