本稿は福島県立図書館へレファレンスを依頼し、その結果を用いています。この場を借りて感謝申し上げます。
相馬駅から歩いて大体15分ほどのところ、大町通りとクロスロード田町の交差点のところに、今回伺った丁子屋書店(以降、「丁子屋」と記す)があります。
初めて伺った時は2023年7月。相馬野馬追の時期でした。店舗はもうすぐ解体、とのことでした。「解体する前に一人でも見てもらいたい」とのことで、店舗を見せていただくことになりました。
店は3つの蔵を外枠で繋げた構造で、これらの蔵は明治期のものだそう。本屋の部分は、かつて荷物を上げ下げした痕跡と思われる蓋のようなものがありました。それ以外にも、建物を支える非常に大きな梁など、色々と見せていただきました。この時は「次の野馬追の時にまた伺います」と言い(多分言った)、店の外観を撮らせていただき撤収しました。
2度目の訪問
2024年5月、相馬野馬追のタイミングでまた訪れてみました。今度は店舗が新しくなっていました。以前よりも少し小さくなった気がします。
前回訪問時、「前の方を駐車場にする」とお話いただいたとおり、かつて店舗があったところの前部分が駐車場になっていました。棚を見ると、入って右側が文具とコミック、教科書ガイド。中央部分が文庫と雑誌などの逐次刊行物、左側が単行本と逐次刊行物、学参というレイアウトでした。文庫を見てみると、中央社の補充シールが貼っているところから、中央社帳合だということがわかりました。
本については前日、相馬野馬追初日である土曜日はやっているか、と確認した際に買っており、この日は改めて軽くお話を伺うことに。「野馬追を見れたか?」など気遣っていただきました。
他に伺った話では、ここから暖簾分けした店があるらしい、とのこと。これについては相馬市の資料をかなり深いところまで掘らないとわからないだろうと判断。ここで調べるのは、後回しにしたいです。
それ以外にも、店内の什器についてについてお話いただきました。かつて前の店で使っていたものを修繕して使っているようです。新しい店の中に、少しくすんだ色の木の棚があります。個人的にスチール棚よりも木の棚の方が好きなので、なかなかよさそう、などと思っていました。
伺った話で印象に残ったのもは、教科書などについて。問題集や教科書が電子化されているが、デジタル一辺倒、というのもよくないのではないか、という内容。それだけでなく、外商を中心にした本屋の場合、教科書供給よりもそれに付随した問題集や教材の販売が利益になるが、これが電子化されていくと、利益が減ってしまう、ということも。この話は以前別の本屋でも伺ったのですが、複数の本屋で聞くということは、そういうことがあり得るのでしょう。
前々から個人的に、「教科書が電子化されきったら、町にある本屋がほとんど倒れる」と思っているのですが、教科書関係、と言う方が正しいのかもしれません。
丁子屋について調べてみる
さて、ここからは可能な限り丁子屋について調べていきましょう。その前に、2024年5月に立てられた「中村城下 屋敷割略図<田町桝形案内板>」という看板を見ると、田町と大町の交差部分に「丁子屋 質屋 佐藤与八」が書かれていました。この「佐藤与八」が丁子屋です。この図は1865(慶応元)年のものであり、たしかに江戸時代から丁子屋が存在する、ということは間違いありません。
それ以外にも、丁子屋でいただいた『そうま歴史資料保存ネットワークシンポジウム 『そうまの歴史を守る・つたえる』2023報告書』(そうま歴史資料保存ネットワーク)という資料を確認すると、斎藤善之「野崎家の土蔵に遺されていた江戸時代の相馬商人の歴史」という報告に、丁子屋から出てきた江戸時代の絵図が載っていました。どうやらこの絵図、「地震のあとに土蔵を整理していたら出てきた」とのこと。ちなみにこの地震は、2022年3月にあったものです。この絵図は文政12年のもので、江戸後期の相馬中村城下を知る上で貴重な資料となります。
これを見ると大町通と田町通の交差部分に「輿八」のような文字が書かれていることが見えます。また、 『そうまの歴史を守る・つたえる』2023報告書』の寺島英弥「解体進む城下町の文化、未来に残すには?「そうま資料ネット」活動1年のシンポジウムから」には、丁子屋の屋号について「丁子屋輿八」と言及がされており、本当に地図に「輿八」と書かれているなら、丁子屋なのはほぼ確定でしょう。
江戸時代の丁子屋について、寺島は「相次ぐ地震、失われる城下町の文化財を救え 「そうま歴史資料保存ネットワーク」の活動始まる 」で
「「丁字(ちょうじ)」は古来の生薬の名で、江戸時代の創業以来「薬をお城に納めてきた」商家だった。薬に欠かせぬ秤(はかり)、油なども幅広く商ったという」
と書いています。もしかすると、相馬中村藩関係の文書にも丁子屋の名が載っているかも、と思ってしまうものでした。
江戸時代から続いている丁子屋、果たして書籍をいつ頃から扱っていたのでしょう。ひとまず国書データベースで「丁子屋与八」、「丁子屋輿八」をキーワードにして検索を行ったところ、ヒットせず。江戸期に相馬地域で流通した書籍の痕跡をたどることができればもう少し調べることは可能でしょうが、ひとまず、江戸時代には書籍を取り扱っていないのかもしれません。
この国書データベースの検索は、書誌情報を対象としています。検索結果で「書写/出版事項」に「丁子屋輿八」が出てくるかを確認するためです。この「書写/出版事項」の箇所は「書写者,書写年(部編等の注記)」と「出版者,出版年(部編等の注記)」(https://kokusho.nijl.ac.jp/page/guide.html#2-2-1 を参照せよ)とあるので、ここから版元や売り弘めがわかる、つまり、当時出版活動なり書籍の販売をやっていた根拠となるのです。
江戸期の版本で痕跡が確認できなかったので明治時代へ時代を進めてみます。ここでは手元の本(たまたま百万遍の古本まつりで入手した和本など)や国会図書館デジタルコレクションを使ってみます。資料に当たる前に、丁子屋についてここ最近の書籍で言及がある気がしたので調べてみることにしました。
見つけたのは長岡義幸『「本を売る」という仕事 : 書店を歩く』(潮出版社)と稲泉連『復興の書店』(小学館文庫)の2冊。こちらをまず見てみましょう。創業自体の話については江戸時代に薬種問屋であったり、中村城の御用聞きだったりと、商人であったことを両者とも記載しています。「書店」としての丁子屋については、稲泉が「明治時代に初期の検定制度が始まった頃、教科書を取り扱うようになったことが同店の「書店」としての原点」と書いています。だいたい明治前期頃には書籍を扱っているようなので、他の資料を見ていきましょう。
百万遍の古本まつりで買ってきた原田道義 『帝国文証大全 : 書牘確証 下』(松林堂)の「諸国発行書林」に「相馬中村大町 佐藤輿八」の記述が確認できました。この本は1878(明治11)年なので、稲泉の記述はだいたいあっているでしょう。これ以前に遡ることができるか確認してみると、松林堂が発行した『小学入門 : 附・博物図』の「諸国書林」に「丁子屋与八」の記述がありました。
この本の出版年は1876(明治9)年なので、2年遡ることができました。確かに丁子屋は教科書関係の販売に関わっていたことがわかります。もしかすると、国立教育政策研究所教育図書館近代教科書デジタルアーカイブを探してみれば、もう少し遡ることができるかもしれません。同時代の和本を網羅すれば地域の書店リストを作れることはわかっていたのですが、和本だけでなく教科書も使うと、より網羅率を高めることができそうです。この辺、OCRを用いたりして効率よくリストを作ってみたいです。
他にも、調べてみると丁子屋は出版活動を行っており、『官報 1899年11月14日』の「検印申請及届出」に丁子屋が申請していることが載っています。また、佐藤精明 編『松川詞藻 : 附・松江名勝志』(佐藤与八)という本の出版を行っていたことも確認できました。この本の「松川」は、読んでみるとどうやら松川浦でした。
佐藤力弥等編『日露戦歿相馬双葉勲功録 初編』(相双勲功録編輯所)や荒川偉三郎 編『相馬しをり』(東北文芸社相馬支社)に丁子屋は広告を出しており、そこには書籍以外にも文房具、度量衡器や油、時計、新聞も扱っていることがわかります。度量衡については『官報 1899年02月23日』に度量衡器の販売免許状を与えられたことが書かれており、たしかに度量衡器の販売をしていたのでしょう。江戸時代からやっていたものの継続なのかもしれません。丁子屋には関わりないかもしれないですが、対面にある丁字屋時計店との関係は気になるところです。
丁子屋を調べていると、「佐藤輿七」(丁子屋輿七)という人物も書籍を営んでいることが確認できます。この輿七について、相馬市史編さん委員会編『相馬市史 第3巻 通史編』(相馬市)で書かれている丁子屋が、同編『相馬市史 第3巻 資料編』(相馬市)の「丁子屋文房具の広告」に書かれている「丁子屋与七」であること、輿八の丁子屋(本稿で対象にしている丁子屋書店の方)とある程度同時代的に書籍商を営んでいること、白崎五郎七 編『日本全国商工人名録』(明治25年版)(日本商工人名録発行所)にも「丁子屋」の屋号で掲載されている(小間物新物書籍商)こと、『官報 1899年11月14日』の「検印申請及届出」で、住所が「相馬郡中村町大字大町三十三番地」であることが確認できています。どうやら丁子屋の隣に佐藤輿七の丁子屋があったようです。
また、『福島県史 第20巻 (各論編 第6(文化 第1))』(福島県)に、福島新聞の大売捌所として「丁子屋与七」の名前が確認できました。「輿八」と「輿七」の関係など、深堀りしていきたいですが、これは数年単位で時間がかかるものでしょう。相馬市立図書館に一度レファレンスを依頼するなり相馬市の歴史関係のところに聞いてみたいものです。
買った本
今回買った本は、西岡常一『木に学べ : 法隆寺・薬師寺の美』(小学館)の1冊。面白そうだなと思い購入してみました。今回使用した長岡・稲泉は、一度読むことをオススメします。また、本稿で紹介した寺島英弥氏の記事は、TOHOKU360で読むことができます。