やーおもしろかった!
『ワセダ三畳青春記』からハマった高野秀行さんだけれど、まさか歴史研究者との対談がこんなに面白くなるとは。
あとがきにもあるけど高野さんが冒険ライター?(読んでいたらいまはノンフィクション作家で以前は辺境作家。冒険〜って名乗ったことはないらしい笑)でありながら、細部の話を急に詰めたりする研究者的な性質を持っているからして、そういう人が研究者と話すという状況が既に面白いのだよなーと後から思ったのだった。
本書の発端はそもそも特殊翻訳家の柳下毅一郎さんが高野さんの著作『謎の独立国家ソマリランド』に書かれていた氏族による庇護と報復のシステムが、清水克行さんの『喧嘩両成敗の誕生』で描かれていた室町時代の日本と同じだとツイートしたのを、高野さんが読んだことにある。
そこで「ソマリランドの話を清水克行さんとならできるのでは!?」と高野さんが思いつき、清水さんと話すことになった。その対談が起されたものが本書なのである。
読んでみて思ったのは確かにソマリランドと室町時代は似過ぎである。どうかと思うほど似ている。というかもしかしたら、中央集権的で強い行政ができる前は人間社会はそもそもこんなものだったのかも(少なくとも東アジアでは)!? ということだった。
法律に代表されるルールはいくつもあって時には矛盾していて、問題が起こった時はその時の状況によって判断が変わったり生命の価値が低かったり。
自分がいま属している社会のルールや常識が「たまたま」のものであって、場所が変われば、時代が変われば当然のように変わるものなのだと、自分の立ち位置をあらためて相対化できたのだった。
その中でも付箋をつけた(なんとなくビビッと来た)ところを引用したり要約したりでメモ的に残しておこう。
ソマリランドではゲストはどんな人でも匿われるし何をしても許される(逆に言うと自分がホストの場合は許さないといけない)
戦争を終結させるための手段としての刀狩りや徳川綱吉の生類憐みの令
アジールが残っている東アジア社会と残っていない江戸幕府以降の日本社会
正義とか公平をものすごく重んじる信長by『信長公記』(現代語訳)とイスラム主義が似てる
綱吉は朱子学ベースのイデオロギーで民衆レベルの精神構造を変えて中世の殺伐とした空気を断ち切ろうとした
ソマリでの恋愛作法は詩で日本の平安貴族みたい。現代でもその文化はあって、ソマリの詩人(だいたいミュージシャン)は個人の依頼を受けて恋人に贈る詩を代作してる
日本の伝統社会を形作ってきた「ムラ」がはじめて明確に姿を現したのは応仁の乱前後だった。社会が緊迫化していく中で個人が地縁に拠って立とうとし地域共同体をつくってセーフティネットにした
独裁者は権力を維持するために秩序を好む。実例としてアヘン地帯のミャンマーの山奥の村がある
中世の人は滅多なことでは多数決をしない。白黒つけちゃうと少数派のメンツを潰しちゃうことになるから。だからだらだら話して中間を取りストレートな対立を生まないようにしていた
ノンフィクションの世界では弾圧されている人たちや状況を悲惨に書くスタイルが一般的だけれどそれだけはおかしい。と思って高野さんは面白おかしく書くようにしている
欧米でも他の国でも(タイのお坊さんは例外)係争中に自殺することはしない。負けたとみなされることすらある。というか自殺は倫理的に良くない。それでも日本人がそういうときに自殺するのは主張の論理的正しさではなくその主張にどれだけの思いを込めているかを見て判断する傾向があるからだ
ミャンマーの農村も豊かじゃないけど日本より風通しが良いのか生活の共同体であって生産の共同体ではなかったから。日本の場合、年貢を村単位で納めるため誰かがサボると村全体で肩代わりする必要がある。だから共同体の規制が厳しくなる
日本の「公」は「パブリック(公共)」ではなく「オフィシャル(公式)」。いわゆる「お上」。そして日本人はいまでもお上への依存度が高い。海外だとNGOの評価は高いが日本では信用されない。むしろ行政の認証を受けたNPOの方が信用される
「お国のために」は戦国時代の武将が領地に敵が攻め込んできた時に百姓を動員するときにも使っていた。しかも動員できないし。だいたいそう言うこと言い出したら終わる
日本でソマリやアジアの氏族にあたるものがあるとすればそれはきっと中学校だ。中学氏族だ(おまえナニチューだよ?)
小泉武夫さんの本、面白そう
拍手の習慣は西洋から来た
東アジアもそうだし沖縄もそうだけど飲み会はダラダラ始まってダラダラ終わった。前近代の社会は暮らしの中でハレとケが渾然一体だったのかも
うん、清水克之さんの本、読みたくなったな。