実際にあったネパールのカトマンズで起こった王族殺人事件を背景に、主人公の太刀洗万智が「ジャーナリズムとは何か?」という問いを考え、答えようとする物語。
本書を簡潔に説明するとそうなる。
おもしろかったのは、あくまでも本書が「主人公の物語」であるという点だ。ミステリーである以上、謎を解決する筋はあるのだが本書で著者が描きたいことはそこではなく、あくまでも「主人公がどういう答えを出すのか」という一点にある。
少し話がズレるが、絲山秋子の小説を読んでから、それまでボンヤリとしていた自分の興味の焦点がハッキリしてきた。それは個人の物語である。もちろん様々な社会背景や建前はあるかもしれないが、ぼくが読みたいのは、結局「あなたはどう思うのか。何を体験したのか」ということであって、単純に「謎が起こってそれを解決する」というミステリーもそれはそれでおもしろいけれども、やはり個人が何を語るかの方に興味がある。
(東京小説読書会の主催者urano さんの書評では、本書はミステリーとしてではなく、主人公個人の物語として読むとおもしろいと書いていた。)
さらに話がズレて恐縮だが、仕事でベンチャーの事業計画などを練っていると、社会的な要請など書かなければいけないことはたくさんあるが、結局は「自分がどうしたいのか」に、論理的社会的な説明を付けているに過ぎないということが分かってきた。
翻って本書である。
本書は先にも書いたように主人公の太刀洗万智が「ジャーナリズムとは何か?」という問いかけに答えていく物語だ。ということは、ミステリーはその問いかけが与えられ、太刀洗万智が答えを出すための必然性を演出するための舞台設定に過ぎないとも言える。
だが、舞台設定だからと言ってナメてはいけない。その舞台を、必然性を、過程を、無理なく飽きさせることなく読ませるのが作家なのである。
本書はそう考えると、若干、前半部分は間延びしているが、しっかりと楽しませてくれる良作だった。
(本書評は書評でつながる読書コミュニティ・本が好き!に投稿した書評を転載したものである。)