歌舞伎町の深夜に開店する謎の本屋「cohon」の日常を描く連載「真夜中の本屋さん」。今回も前回に引き続き日記形式で、2020年の歌舞伎町を伝えています。あのときあの街はどうだったのか? 今回もどうぞお楽しみください。
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (1)「歌舞伎町が静止する日 -The Day the Kabuki-cho Stood Still-」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (2)「(下)北(沢)の町から 21’〜言い訳〜」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (3)『歌舞伎町diary』
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (4)『TOKYO 2020』
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第五話『TOKYO2020 後編』
≪6月2日 初の「東京アラート」 都民に警戒呼びかけ≫
6月9日 cohon営業日
cohonはなかなか混んだ。
立ちんぼとおっさんが喧嘩になり、警察が来て揉めていた。警察はどっちの味方をするのだろう。
香港人という女性の来店。香港出身の人は絶対に自分を中国人と言わない。香港人ということにとても強いプライドを持っている。愛嬌のある、かわいらしい人だった。
ふらりとやってきた通りすがりのインド人(?)がその女性にぐいぐいナンパしてきた。すこし迷惑そうにもしていたが、結局2人でどこかへ消えていった。
≪6月19日 東京都 休業要請きょう全面解除 夜の繁華街で対策徹底呼びかけ≫
6月19日
東京の自粛が完全に解除された。
夜中3時過ぎにチェーン店の牛丼を食べた。これまで当たり前だったことができるのが嬉しい。
早く元通りの東京に戻ってほしい。
7月1日
cohonのお客さんとして来てくれた人が働く歌舞伎町のメイドシーシャ屋さんに伺ってみた。読んで字のごとく、メイドさんがシーシャ(水たばこ)を吸わせてくれるという店だそうだ。な、なるほど……?
歌舞伎町のど真ん中の立地。自宅から徒歩1分くらい。
人生初シーシャ。もっとタバコ的な煙っぽさだと思ったら全然違った。女性でシーシャ好きな人が多いのも分かる。香水を楽しむようなおもしろさだと感じた。
たまたま近くの席にいた人と話になり、聞けばcohonのすぐ近くにある風俗店の店長だそうだ。cohonの存在も認識してくれていた。
その店長さんと意気投合し、そのまま気づけば夜明けまで。二人で一緒に近くのラーメン屋に行き、朝ラーメンを食べた。
人脈ができていく。珈琲と絵本の店とは思えない人脈が。
≪7月5日 東京都 新たに111人感染確認 “夜の街”関係46人≫
7月6日
よく行く歌舞伎町の喫茶店。ここはいつ来ても客層がカオスでよい。
顔見知りの立ちんぼと店内で遭遇した。
(あ、あの珈琲屋だ……)
といった表情をしている。気まずい。
ちなみにこの喫茶店は窓ガラスに銃痕の穴が開いていることでも知られている。立ち上がったときにちょうど顔面か喉元となる辺りの高さにびしっと丸い穴が開いている。
≪7月15日 6月 訪日外国人旅行者 去年同月比99.9%減 記録的落ち込み続く≫
7月20日
東京に住む幼なじみのKと会った。
5月の初め頃に突然、「元気?」と連絡があったのがきっかけで久しぶりに会うことになった。
あの突然の連絡は何だったのか? と尋ねると、コロナに罹ってひまをもてあましていたので連絡したそうだ。
まじか。こんな身近に。しかも5月の頃の患者となると、まだ数人が感染しただけでもちょっとしたニュースになっていた時期だろう。
ところで、少し前に歌舞伎町ではスカウトとやくざの揉め事があり、かなり大規模かつ暴力的なスカウト狩りが行われていた。
なりふり構わないスカウト狩りで、"それっぽい服装"の人間がいれば、とりあえず大量の組員で追いかけ回し、取り囲んで脅しをかける。その様子はSNSなどに動画で上げられもし、しばし話題にもなった。
その時期は歌舞伎町から所属や会社に関係なく、全スカウトたちが身の安全のために忽然と消えた。捜索にあたる暴力団員がcohonの様子まで覗いてきたことがあったほどだ。
Kには元スカウトという経歴がある。何か事情を知っているか尋ねてみると、
「あ、おれ今まさに狩られてるスカウト会社の副社長やってたんだよね!」
と、Kはケラケラと笑いながら話すので唖然としてしまった。すでに退社はしているようだが。
コロナといいスカウト狩りといい、時事ネタに事欠かないやつだ。
「あの社長、報復するのが好きな人だからねぇ……」
日常会話に『報復』という単語が出ること、そうそうない。
スカウト狩りが大規模に行われていた時期自体はこの1カ月ほど前のことで表面的には既に下火となっている印象だったが、
「終わってないよ、全然。大規模捜索だったのが個別撃破に移っただけ。カブキの事務所は引き払ったようだけど、会社は渋谷とか池袋に事務所を移転してる。で、その事務所をやくざたちが見つけたら速攻で潰しに行く。表面的な動きが見えにくくなっただけ。全然終わってない。超長期戦だよ」
Kは達観したような表情でこう言った。
「やくざ怒らせたら、そういうことになるんだって」
≪8月11日 世界の感染者2000万人を超える≫
8月13日
いつもcohonに来てくれる常連さんのSMバーに初めて伺った。
ピンク色の照明、壁には鞭やら縄やら手錠やらといった物々しい道具類がたくさん掛けてあり、思わず圧倒される。大きなしゃもじのようなものはオーナーが削って作った一点物の品だそうだ。これでペチペチ叩くらしい。
床には女性が正座し、両腕を後ろにまわされて縄で縛られている。そしてソファに座るオーナーの足置きにされていた。
「足置きにされてる人、お客さんですよね?」
「お客さんです」
うーん、自分の中にある接客業の常識が崩れていく……。
しかし顧客の最も求めるものを提供することがサービスの要であるとすれば、これはこれで究極的な接客業なのだと思う。
歌舞伎町で学ぶことは多い。
8月16日 cohon営業日
久しぶりに通報された。
やってきた警察官からは開口一番に「世知辛いっすねぇ」と言われた。本当だよ。世知辛いよ。
こんな零細珈琲屋をわざわざ通報しないでくれ。
≪8月28日 安倍首相 正式に辞意表明≫
9月1日
街を歩いていたら顔見知りの立ちんぼに声をかけられてびっくりした。
どうやらご近所さんらしい。
昼に会う顔と夜に会う顔とでは微妙に印象が異なる。
ごくごく普通の女性だ。この普通の女性が立ちんぼで、ごく普通のおれは違法珈琲屋なんだ。
人間、外見だけではなかなか分からないものだ。
9月15日 cohon営業日
今日の歌舞伎町は静かだと思ってはいたが、cohonもとてもひま。
だいぶ涼しくなり、アイスコーヒーを頼む人も減った。
夜の空気はもう秋。
≪10月2日 トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染≫
10月13日 cohon営業日
前半はとてもひま。後半からどどっと来客があった。
立ちんぼもひまそうにしている。
※後日談:この時期の立ちんぼは相場価格が落ち、大変だったそうだ。
相場を正常価格に戻す努力をのちに彼女たちから聞いた。
まさに歌舞伎町の経済だなと思った。
≪10月14日 フランスが3か月ぶりに非常事態を宣言 ヨーロッパで感染再拡大≫
10月16日 cohon営業日
例のご近所さんの立ちんぼに、帰省土産のうなぎパイをもらった。
彼女とは仲良しといえば仲良しだけれど、お互いに名前も知らない間柄。でも、それくらいがこの街ではちょうどいい関係だと思う。
ただ彼女の地元はわかる。浜松なんだろう。
10月20日 cohon営業日
変なギリシャ人に絡まれた。おそらく泥酔した勢いで立ちんぼに声をかけ、あっさり門前払いを食らったのだろう。
名前はアポロというそうだ。ギリシャ神話か聖闘士星矢に出てきそうな、こんなにギリシャ人然とした名前の人いるのか。
アポロは立ちんぼへの不満を大声で怒鳴り散らし、そしてなぜかイタリアをdisりまくっていた。どこの国でも隣国との関係は難しいということだと思う。
しばらく雑談をし、帰るころには怒髪天のアポロもすっきりとした笑顔になっていた。よかった。
イタリアのこともdisらなくなっていたし。少しだけ国際関係の改善に役立った気持ちがする。
10月30日 cohon営業日
いつも男女の二人で深夜帯にやってくる常連さんが、今夜は男性だけ。
なんだかとてもしょんぼりしている。
珈琲を手渡して静かにしていると、いつもは口数の多い男性が「彼女、大麻で捕まりましてね」としずしずと語り始めた。
とても綺麗でやさしい女性だったのでびっくり。
実刑にはならなかったそうだが、彼女はその後、絵に描いたような泥沼にはまっていった。まぁ、よくある話といえばよくある話。
≪11月12日 新型コロナ 国内の感染確認1661人 1日として過去最多≫
11月19日 cohon営業日
東京の1日の感染者数が500人超え。
街に人は少ないけど、cohonはぼちぼちの来店。
お客さんの一人が留置所に入ったときの経験談を話し始めたところ、たまたまそのときいたお客さんも留置所に入ったことがあるそうで、とても話が盛り上がった。
各留置所ごとのちょっとした違うところ、または同じところ。
「あるある!」
という具合で、OB同士の思い出話のような雰囲気だった。
しかし落ち着いてよく考えてほしい。『留置所あるあるネタ』をぶつけ合える客層はあまりないということを。
ちなみにお客さんが入所した池袋警察署内にある留置所では、胸に『池』の丸いパッチワークが縫い付けられたスウェットのような服を着せられるそうである。
ちょっとかわいい。グッズ化してほしいと思ってしまった自分が悲しい。
まさにcohon的な客層の一夜だった。
12月11日 cohon営業日
立ちんぼの取り締まりが急激に厳しくなり、公園周辺は閑散としている。
ただ、顔見知りの立ちんぼは一人でぽつんと立っていた。
彼女の友達はこの取り締まりで捕まったそうだ。その警戒もあり、ここに立つのも久しぶりのことだという。
「cohonのココア飲んでると警察に怪しまれないんだよね!」
と彼女は無邪気にそう言って、ココアを買っていった。
なんだか私まで何かの片棒を担がせられているような気がするんだが?
まぁいいけど。
≪12月14日 アメリカ ファイザーの新型コロナワクチンの接種が始まる≫
12月31日 おしるこほん営業日
2020年の大みそか。この日は路上でおしるこを売ることにした。
今日に限っては店の屋号はcohonではなく「おしるこほん」となっている。
用意した餅は約200個、仕込んだあんこは約4.5kg。いつものリュックに詰めると、絵本よりもずしりと重たい。これだけの数を消化できるだろうかと不安になる。
路上でアルミ鍋に水とあんこ、隠し味に塩こんぶを少し投入。湯気が立ち昇り始めると、いよいよ年末の公園での炊き出しといった雰囲気があり、なんとも言えない気持ちになる。
しかし……まさかの、ひま。
街に人がまったくいない。何せ今日のコロナの感染者数が1300人超えという衝撃的な発表があり、大みそかという日であるにもかかわらず街は死んだように静まり返っていた。
仮にこれから半分量を販売できたとしても、2kg以上のあんこが余る。
そんな量のあんこを独身の男が一人でどう処理をすればいいのか。捨てたくはないし、かと言っておはぎや饅頭にするにしても限界がある。
これは終わった……。
そう思ったときだ。例のSMバーの方々が大集団でご来店。そこからはまさにブレイクスルー。おしるこは飛ぶように売れ、結果的には年を越す前に完売となってしまった。
この一年でお世話になった常連さんたちの来店も多く、よい締めくくりの挨拶ができた。
コロナ禍におけるこの一年間をそう簡単には総括できないが、個人的には充実したよい一年だったと思う。
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前後半と分けて今回改めて自分の日記を熟読してみた。書いている途中の日記帳をぱらぱらと読み返すことはときどきあるが、既に書き終えた年の一冊をこうしてきちんと紐解くことはほとんどない経験だ。
鮮明に残っている記憶もあるし、読み返して初めて思い出すこともある。たった一年しか経っていないのに、ほとんど忘却の彼方の出来事もあった。
しかしこうして歌舞伎町での365日を客観的に眺めたとき、ひとつの確信を得ることはできた。
それは、
「cohonの営業、ほぼ毎回なんらかのアクシデントに見舞われている」
ということだ。
正直、一年目の時点でかなり多くの経験を重ねたつもりであった。
その経験の新鮮さもあり、自分自身テンション高く歌舞伎町での出来事をペンの進むままに書き連ねていた。
森鴎外の舞姫から抜粋すれば、『目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新(あらた)ならぬはなく、筆に任せて書き記しつる紀行文……(中略)……今日になりておもへば、穉(おさな)き思想、身の程ほど知らぬ放言、……』といった勢いがあった。
しかし二年目ではある程度の慣れと落ち着きが生まれ、そのテンションも下がったと自覚していた。だいたいのことは「前にも経験した」、「よくあること」として機械的に処理していたつもりだった。
ところが、である。
こうして全体に目を通してゆくと、ほぼ毎回こちらが驚くようなトラブルやアクシデント、そして変人に巻き込まれていることが分かった。
自分自身を客観視したときに、「こいつはどんだけ図太いんだ? こいつの心は折れないのか?」と感嘆せずにはいられない。
しかもこのコロナ禍の一年間をトータルして"よい一年だった"と総括している。
一体何なんだこのメンタルの強さは。
とはいえ、個人店の店主というものは少なからずこういったアクシデントと果敢に向かい合い、ときにしたたかに受け流し、ときに狡猾に利用して経営を続けているものだ。
自粛の"監視の目"が今よりずっと厳しい時期から批判を覚悟で大々的に営業を再開したホストクラブも知っているし、歌舞伎町が感染拡大の諸悪の根源のように報道されたからこそ感染防止に人一倍気を付け、日本中のどこよりも厳しく消毒と衛生管理を徹底した店も知っている。
大資本のチェーン店が続々と戦略的撤退を決めていくなか、営業と自粛の狭間でもがき苦しむような経営努力を続けてきた個人店の愚直な強さを知っている。
私はコロナ禍というこの期間を生き残るために必死になったすべての人が、きっと報われると信じている。いまは大変でも、希望的観測の未来があればいいと思う。
それは飲食店、医療関係者、学生、行政や公務員。すべての人にだ。
厳しい冬のあとはあたたかい春の訪れがあるように。
2021年を間もなく終える現在も決して予断を許す状況にはないけれど、やがてはすべてが好転に向かうターニングポイントがあるはずだ。
誰もマスクをつけず、気兼ねなく酒と食事を楽しみ、世界中を旅をする。
そんな世界に一日も早く戻ってほしいと、心から、そう思う。