本稿は福島県立図書館での資料調査、ならびに広文堂書店からの資料提供を基に書いています。この場を借りて感謝申し上げます。また、本稿は基本的に敬称略で書いております。あらかじめご容赦ください。
相馬駅から歩いて10分ほどのところに、今回訪れた広文堂書店(以降「広文堂」と記す)はあります。相馬中村神社と駅の中間くらい、馬陵通りとクロスロード田町の交差点近くにあります。
伺った日は2023年相馬野馬追の初日。猛暑の中、総大将が休憩を取る永田陣屋近くで見物した後、宿がある新地に戻る前に「相馬の本屋、きちんと寄ってないな」と思い行ってみることにしました。
広文堂を訪れる前に、江戸時代の蔵を使った丁子屋書店が解体されるとのニュースを見ていたので、せめて外観だけでも見ておきたい、と思い丁子屋に伺っていました。本当に偶然、解体直前の建物を見せていただきました。この話は今度、新しい店舗ができたときにまた伺い、書いておきたいところです。
さて、3日間行われた2023年の相馬野馬追、全日程猛暑、というよりも酷暑でした。カメラバッグに空調リュックを装着し、大量の飲料と塩飴を持ってしても熱中症になりかけました。
非常に外が暑い中、涼を求めて店内へ。まずは店内の棚を一通り物色していくことにしました。入ってすぐのところには福島県関連、郷土に関する本のコーナーがありました。右から回っていくと学参、真ん中の店は雑誌などの逐次刊行物、左側はコミック・文庫と文具というレイアウトでした。個人的には学参が多い印象を持ちました。郷土関係の棚から本を取り出して会計。そのタイミングでお話を伺うことに。
店について
レジにていつも通り「趣味で国内の本屋を巡っていて、野馬追のシーズンなので相馬の本屋を見てみようと思って伺った」と話をしたところ、「店主を呼びますね」と。電話で店主を呼んでいただいてしまいました。
店主から店について話を伺うと、どうやら創業は1909(明治42)年。相馬市が編纂した郷土史にも載っている本屋とのこと。自治体発行の郷土史(『◯◯市史』など)に本屋が載っていることは、過去訪れたところでは山形県鶴岡市しか知りませんでした。比較的珍しい本屋だなと感じつつ、事前調査をしておいた資料を出しながら話を伺っていきます。
荒川偉三郎編『相馬しをり』(東北文芸社相馬支社)の広告を見せると、確かに絵葉書の販売をかつてやっていたことも確認できました。どうやら創業者が物好きだったようで写真をやっていて、その流れで絵葉書の販売をやっていたとのことです。原釜に出張所を構えていたのは、おそらく海水浴客目的だろう、とも伺いました。広文堂発行の絵葉書は國學院大學の社寺等絵葉書資料というデータベースに収蔵されていることが事後の調査でわかりました。全文文字列で"Kobundo Hakko"を入力して検索すると、確認することができます。
また、この「写真好き」というところで面白い話も一つ教えていただきました。なんと店舗改築のタイミングでガラス乾板が大量に見つかったそうです。当時の広文堂の光景がわかる貴重な資料であり、それらは西徹雄 監修ほか『目で見る相馬・双葉の100年』(郷土出版社)に収蔵されています。この本の「ある家族の風景 というところに載っているのがうち(筆者注:広文堂)」と言うことも教えていただきました。
それ以外にも、今は相馬に1軒のみですが、かつて6店舗あったともお話を伺いました。外商で本が非常に売れているとき、この相馬の店を閉めよう、という話もあったようですが、断固反対して店を維持したとも。あっという間に時間が過ぎ、新地に戻って翌日に備えようと思い店を発つときに、いくつかの資料を複写でいただきました。本当にありがたいです。
資料から広文堂を見てみる
さて、いただいた資料などから広文堂をもう少し深堀りしていくことにしましょう。まず、自治体史を確認してみます。相馬市史編さん委員会 編集『相馬市史第3巻 (通史編 3 (近代・現代))』(福島県相馬市)に広文堂の記載があるので、確認していきます。
書き出しは
「広文堂書店は、相馬市における現存最古の書店であり、地元の知識人たちのサロンとでもいうべき存在である」
異議あり。広文堂が「相馬市における現存最古の書店」と『相馬市史. 3 (通史編 3 (近代・現代))』には書いてあるのですが、その創業年は「明治四十二年(一九〇九)四月十五日」(相馬市史. 3 (通史編 3 (近代・現代))より)とあります。創業日は古物商の鑑札に「明治四十二年四月十五日」と書かれており、これを創業日としたのでしょう。
手元の資料では荒川偉三郎編『相馬しをり』(東北文芸社相馬支社)が1911(明治44)年の発行のため、明治末期にはあったことは間違いありません。しかしながら広文堂創業と言われる明治42年の2年前に発行されている『全国書籍商名簿』(東京書籍商組合事務所)では、「相馬郡中村町 丁子屋 佐藤輿七」と書かれています。
この丁子屋については1878年に発行された原田道義編、伊藤桂洲書『帝国文証大全 : 書牘確証 下』(松林堂)の「諸国発行書林」に記載が確認できています。このことから、広文堂が「相馬市における現存最古の書店」という内容が誤りでないか、と考えています。『相馬市史』はなぜこのように記述したのか、根拠を伺ってみたいものです。
広文堂の名前の由来は創業者の木村廣助にちなんでいるということはなんとなく予想した通りでした。広文堂は大正時代にはどうやら貸本をやっていたようです。広文堂の「貸本出入帳」は、『相馬市史第7巻 (資料編 4 近代・現代)』(福島県相馬市)に載っています。非常に興味深いのは、
「相馬市域で自転車やカメラを持ったのは同店が最初であった」
というところ。写真については1931(昭和6)年に発行された写真機界社編『日本写真界年鑑 1931至1932年』(写真機界社)の「福島県」に「木村廣助商店 同(筆者注:相馬郡のこと)中村町」と「廣文堂寫眞機店 同(筆者注:相馬郡のこと)中村町」の記載を確認しています。これより前の資料をまだ見つけていないので正確に「最初にカメラを持った店」とは言いづらいですが、相馬で比較的初期の方であったのでしょう。
木村廣助がカメラなど、新しいものを好んでいたことについては児玉由美子「震災から五年をむかえて 街の文化の一端を担う書店として(上)」(NR出版会編『書店員の仕事』(NR出版会))に
「ハイカラ趣味っていうんですかね。昭和の初めに横文字で書いていましたから。(中略)写真だったり横文字だったり、けっこういい影響を見せに与えてくれました」
と話しています。また、広文堂のはじまりについて
「一番最初は、貸し本屋から始まったんです。当時の台帳も残ってまして、『JAPAN TIMES』なんかも相馬高校に配達していました」
と児玉は言っています。
その他、新刊取り扱いについては『相馬市史第3巻 (通史編 3 (近代・現代))』で
「いつごろから新刊を扱うようになったかは定かでないが、第二次世界大戦後には取り次ぎに餅や米を贈り、新刊本を回してもらっていたという。(中略)広文堂書店でも『リーダーズダイジェスト』の入荷日には行列ができていた」
と書かれています。この新刊仕入れについて児玉は「母は出版社の人にお餅とか花札とか送ったりして、一生懸命新刊を仕入れたという話もあります」と言及しています。
かつて広文堂が6店舗を構えていた話について、こちらは福島県立図書館で少しだけ調べてみました。商工名鑑を見れば出てくるだろう、と予測を立て、蔵書を探してみました。その中で『相馬商工名鑑 昭和59年』(相馬商工会議所)という資料を見つけました。
確認してみると、広文堂の広告を発見しました。そこには本店、リーブル店、フジコシ店、栄町店、ブックス店、ヨークベニマル店の6店舗の存在を確認しました。児玉由美子「震災から五年をむかえて 街の文化の一端を担う書店として(下)」(NR出版会編『書店員の仕事』(NR出版会))に、小高にも店舗があったことが書かれていました。いつ頃に小高店が開いたのか、気になるところです。
これ以外にも、田町商店街近代化事業の中心に広文堂がいたことや、かつては相馬野馬追の絵画展や武具を並べた特別展を開催していたことなど、児玉が言及しており、広文堂が地域の文化的な場所を担っていたことがわかります。
ちなみに、広文堂に伺った際『NR出版会 新刊重版情報』の481号、482号をいただきました。どこかで読んだことがある文章だと自宅の本棚を探してみたら『書店員の仕事』を見つけました。この本、というよりもNR出版会のインタビュー、話し手にあゆみBOOKS小石川店時代の久禮亮太、代々木上原にあった幸福書房の岩楯幸雄、ちくさ正文館の古田一晴、神戸にあった海文堂の平野義昌、盛岡さわや書店の栗澤順一などがいます。このようなインタビューを書籍化して、広く目に留まるところに出してもらえることは大変ありがたいことです。
広文堂、というよりも木村廣助に関しての余談ですが、相馬市史編さん委員会 編集『相馬市史第2巻 (各論編 1 (論考))』(福島県相馬市)に小幡行という人物が記載されており、この人物はどうやら「広文堂木村広助氏の叔父に当る」とのことです。この人物についても、調べてみると色々興味深いことが出てくるかもしれません。
買った本
今回買った本は、西村慎太郎・泉田邦彦『大字誌両竹 1』(蕃山房)。郷土に関する本のため、購入してみました。この本はシリーズ本で、確認をした2024年4月現在、5冊出ています。版元の書籍紹介ページを見ると、「10年間=全10巻の刊行を予定」とあり、現在折り返し地点にあるようです。地域の歴史を掘り起こす取り組みは、今後も見ていきたいものです。