既に連絡船は無いけれど(津軽海峡フェリーはある)、北海道の玄関口と言われたら個人的に挙げる函館。坂の上の教会群や旧函館区公会堂など古い建物が集う元町エリアの玄関口である十字街に、今回紹介する栄文堂書店はあります。
市電の十字街電停で下車し、谷地頭の方へ歩いてすぐのところにあります。比較的アクセスがしやすいですが、営業日時には要注意。日曜休みで営業時間は9:30~13:30。比較的短いので、行く予定のある人は計画的に。
さて、栄文堂書店があるエリア、現在の住所では「末広町」となっています。しかしかつての地図(函館市中央図書館のデジタルライブラリーにて「函館市地図 新生」を確認)を見てみると「恵比須町」という名前です。町名が改称されているので、過去の資料を見る際には注意しなければなりません。
店に入ると棚は岩波書店の書籍がかなり多かったです。岩波文庫、新書、現代文庫、ブックレットが豊富でした。岩波書店の本は責任販売制を採用しているので、これだけの本を抱えると……とふと思ってしまいました。また店頭入口には写真、特に岡村昭彦という人物についての本や同人誌(ZINE的なものではなく同人誌、という表記の方があっているように感じる)も置いてありました。
軽く棚を物色した後、買う本を決める。そのタイミングで店主に話を伺うことに。もともと事前情報として、ここ栄文堂書店は戦前からやっていることは調べていました。話を聞いてみると1934年(昭和9)年に創業し、1937年に店主の祖父が引き継いで営業をしたようです。ちなみに1934年は函館大火があった年です。
いただいた資料を見ると、栄文堂書店の創業については「創業者 里村様より鹿児島出身の齊藤貞二 信州出身の妻、吉子が昭和12年に引き継がせていただきました。当時、御店主が亡くなられ、東京の取次ぎ関係におりました齊藤が家族と共に来函いたしました」とのこと。
この資料の「東京の取次ぎ関係」ですが、話を伺った際に、「東海堂の社員だった祖父が引き継いだ」と話をしていただきました。東海堂と言えば、東京堂・北隆館・大東館とともに戦前の四大取次と呼ばれた取次の1社です。今ではこの4つのうち東京堂と北隆館しか名前が残っておりません。名前が残っている2社についても、1941年に日本出版配給に吸収されて以降、取次業務は行っていません。これ以外にも、当時の店の写真を見せていただきました。当時の栄文堂書店は店の奥でティーパーラーをやっていたり、プロマイドの販売や映画の上映券の販売を行っていたようです。
話をしていただきながら、話題は棚へ。店舗入口辺りの棚に挿してある岡村昭彦と岩波書店の本について。まず、岡村昭彦について。ここについての事前調査でほぼ確実に名前がヒットしたくらいで店に伺ったのですが、店主の父が岡村昭彦でした。戦後、わずかな間だけここ栄文堂書店で働いていたようです。
その時に岩波書店と交渉し、仕入ができるようになったとのこと。当時岩波書店から贈呈された1953年10月現在の解説目録の表紙、裏表紙を見せていただきました。裏表紙には「道南特別取扱店」の判が押されていました。これが岩波で押されたのか栄文堂書店で押されたのかはわかりませんが、岩波の本が今でも多いのはこれがきっかけになったのかもしれません。その後岡村昭彦はPANA通信社に入り、ベトナムへ。この辺の話は書籍が出ているようなので、そのうち買って読んでみようかと思います。
これ以外にも、函館の本屋についても軽く伺いました。函館で129年やっており、現在も営業している中で道内最古の古本屋、浪月堂の話をほんの少しだけ。浪月堂書店、今では深堀町の電停近くにあるのですが、それ以前は恵比須町で店を営んでいたようです。
その話をすると、「浪月堂はうちの近くでやっていた」という答えが。近くの病院が大きくなるタイミングで移転したとも。後に浪月堂の店主にも場所について話を聞いたら同じ答えが返ってきたので、栄文堂書店と浪月堂書店は当時近所だった、というのはほぼほぼ間違いないのかもしれません。当時の住宅地図などを探せば確証を得ることができると思いますが、それは今後……。
今回買った本は『シャッター以前 vol.6』(川島書店)。このシリーズは現在まで7冊出ていますが、そのうちの1冊を買ってきました。岡村昭彦を知る手がかりとして、この本を読んでみようかなと思います。岡村昭彦がこの本屋で働いていた間の話を、どこかで掘り起こせればいいのですが……。