歌舞伎町の深夜に開店する謎の本屋「cohon」の日常を描く連載「真夜中の本屋さん」。season1から数えて10回目となる今回は日記形式で、一回目の緊急事態宣言下の歌舞伎町を伝えています。あのときあの街はどうだったのか? 今回もどうぞお楽しみください。
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (1)「歌舞伎町が静止する日 -The Day the Kabuki-cho Stood Still-」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (2)「(下)北(沢)の町から 21’〜言い訳〜」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (3)『歌舞伎町diary』
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第四話『TOKYO 2020』
本記事を書いている十月末現在。
ついに歌舞伎町を象徴する赤い大門のあかりが、再び点灯された。
緊急事態宣言が全面的に解除されることとなった。
多くの接客業、特に酒類を提供する飲食店にようやく夜の賑わいが戻ったという状況にある。
歌舞伎町でも、きちんと営業自粛や時短を厳守し続けた店は確かにある。しかし完全に無視を決め込むという選択をした店も少なくないと個人的には見ていた。
そのため、緊急事態宣言の最中であるにもかかわらず、歌舞伎町の人出は既に平常時並みに戻っているという印象を抱いていた。
しかし解除が発出されると、やはり街の様子はがらりと変わる。
街も店も人で溢れている。
居酒屋では両手いっぱいにジョッキを抱えた店員が大忙しで店内を駆け回り、あちこちで乾杯する楽しそうな様子が伝わってくる。
店員も客も、誰しもがその表情を明るく紅潮させていた。
すべての人のあらゆる生活や仕事に、何らかの制限が及ぶという前例のない事態。
その制限がいかに重たく不自由な枷となって人々の行動や精神に影響を及ぼすかを実感する期間だった。致し方のないものであるとはいえ。
もちろん、今回の疫病禍がこれで完全に終息したわけではない。
しかしこの枷がひとまずは外れ、こうして正常化した歓楽街の雰囲気を感じられることはただただ嬉しく、そして感慨深い。
夜遅い時間帯でも気軽に食事ができ、どの店でも気兼ねなく酒を楽しむことができる。
それまで当然のこととして享受していたものが、とても幸せで恵まれたことなのだと改めて気づいた人も多いのではないかと思う。
とはいえ、この自粛による爪痕がそこかしこに生々しく残っていることもまた、厳然たる事実だ。
当然、それは歌舞伎町といえども例外ではない。
かつてコマ劇通りと呼ばれた歌舞伎町の目抜き通り。現在はゴジラ通りと呼ばれている。少し歩いてみれば、ぽつりぽつりと周辺のビルに『空き物件』の貼り紙が掲げられ、がらんどうの寒々しい光景が広がっている。
コマ劇通りをそのまま直進すると、大きな映画館にぶつかる。その建物の脇には缶ビールや缶チューハイを持って騒ぐ大人たちの姿。
以前から大学生程度の若者が路上飲みをしている様子はあった。しかし、それなりの仕立てのスーツを着た年齢の大人たちがこうして地面に座り込み、車座になって飲む風景は個人的には苦言を呈したくなる。
反面、若年化も目立つ。ユーチューバーなどによる投稿動画に感化されたような雰囲気のある集団は、明かに高校生、ともすれば中学生くらいのあどけない顔立ちをした子供たちも多く見かけるようになった。
今回の疫病禍が街と人にどのような影響を与えたのか。
今後、どう影響を残してゆくのか。
そしてそれは是か、非か。
正直なところ、これらの考えを個人的な私見で述べる自信は私にはない。そんな専門知識もなければ、見識もない。
できることといえば、私がこの歌舞伎町という街で暮らし、そしてこの目で見たことをありのままに描写することだけだと思う。
歌舞伎町といういびつな構造の上に成り立つこの街の一年を、市井のありのままの視点から記録に残しておきたい。
2020年の日記から上半期の特徴的な日を抜粋する。なお、個人情報に関することなど一部に修正があることをあらかじめお断りしておく。
また要所要所でNHKのニュース見出しを記載した。
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2月8日 cohon営業日
営業が終わり、片づけを始めようとしたところに常連さんが来た。
焦っているというか、驚きを隠しきれない興奮した様子。
聞けば、元カノの妹が立ちんぼになってそこに立っていたらしい。
そんな再会したくなさすぎる。
人生いろいろ。
≪2月11日 WHO 新型コロナウイルスを「COVIDー19」と名付ける≫
3月1日 cohon営業日
ぽつりぽつりと来客があるも、すぐ通報された。
仕方ないので閉めますね、と断りを入れていたところにリアルピカ〇ュウ氏が襲来。警察、どん引き。あまりの引きっぷりになぜか警察も帰ってしまった。
ピカチ〇ウ氏、近くのチンピラたちにうちの珈琲をおごりまくる。
そしてすぐ再通報。
即店じまい。当たり前だ。
(※補足:リアル〇カチュウはいわゆる地下芸人で、それはもう特徴的な身なりをしている。検索サイトで検索すればすぐ出てくるので、気になる方はどうぞ。弊店にたまに来る)
≪3月10日 イタリア全土で移動制限始まる≫
3月19日
一旦、都内の感染者数が減り、街の人も戻ってきた気がする。
世界的には日に日にやばくなってきている。
イタリアの死者が大変なことに……。
≪3月23日 東京都 小池知事「都市封鎖(ロックダウン)」に言及≫
3月24日 cohon営業日
すこし久しぶりの営業となった。
通りがかりの婦警さんから声をかけられた。
「最近見かけなかったから心配してましたよ~!」とのこと。
やだ、好きになっちゃう。
3月27日
都の自粛要請1日目。
夜9時に散歩してみた。雨。
酔っぱらったおっさんが風林会館の交差点で光る棒をぶんぶん振りながら勝手に交通整理をしていた。いつもとさほど変わらない風景。車は迷惑そうにしている。
ピカデリーやゴールデン街の辺りは人がまったくいない。ゴーストタウンのようだ。
寂しい。
≪4月7日 7都府県に緊急事態宣言 「人の接触 最低7割、極力8割削減を」≫
4月12日
今日の営業を最後に、cohonも一旦休業することにした。
まぁ雨降ったので今日自体も休みになってしまったけど。
路上の店が休業したところでそもそも違法に変わりはないんだが? という疑問はあるが、そこはモラルの問題だと思う。
一応、社会のレールに乗っていたいので……。
4月13日
歌舞伎町の某喫茶店。ここだけは相変わらず24時間営業を続けている。
仕切りもないし、ソーシャルディスタンスもない。
緊急事態宣言、完全無視。すごい。
ただ、いつも混みあっている店内も今日はガラガラだ。
明かにヤクザといった風貌の男が会計のときに
「カブキも大変だな。ここも人が全然いねぇもんな……」
と心配そうに声をかけたのに、よく聞いていなかった店員が、
「はぁ?」
とぶっきらぼうに答えていて笑いそうになってしまった。
ヤクザはちょっと気まずそうにしていた。
≪4月16日 「緊急事態宣言」全国に拡大 13都道府県は「特定警戒都道府県」に≫
4月18日
午前中がすごい雨だったせいか、夕焼けがとてつもなく綺麗だった。
誰もいない歌舞伎町。
異世界のよう。
≪5月3日 国内の感染者 1万5,000人超える≫
5月5日
夜中に少し離れたコンビニまで歩いていったら、道端に血を流したおっさんが倒れていてびびる。
酔っ払い? この時期に?
それとも本当に何かの事故?
結局ただの酔っ払いだった。なんだよ!
≪5月7日 国内の感染者 1日の人数が100人下回る≫
5月11日
歌舞伎町のホテル街も一応の賑わいを取り戻している。
ヨタヨタと歩くのがやっとのじぃさんと若い女性がホテルに入っていく光景。
なんか、いつもの歌舞伎町に戻った気がしてホッとする。
● ●
5月15日 cohon営業日
休業が明け、久しぶりのcohonの営業となった。休業前の最後の営業のときはまだコートを羽織っていたが、夜風はもうすっかり暖かい。
荷物を抱えて大久保公園に着く。1か月程度の休業に過ぎないが、体感としてはずいぶん長いように感じられ、いくらかの緊張がある。
近くにいつもたむろしているチンピラ集団は相変わらず今日もいて、金銭のやりとりで揉めていた。いつもの街の風景。自分だけが浦島太郎になってしまったような気持ちがする。
cohonも混むのではないかと意気込んでいたが、来客は穏やかで、街の様子はとても静かだった。
そんな折、23時を過ぎた頃だろうか。
二人の若い男性の来客があった。大学生くらいの雰囲気があり、歌舞伎町に来たこともほとんどないという。物見遊山で来てみたといったところだろう。
こんな場所で営業していて危険だったことはないのか? などと興味深そうに尋ねられた。
まぁ、そんなには。ここは日本であってヨハネスブルグではないし、優秀な警視庁の方々がきちんと目を光らせていますからね。
そんな、いつものやりとりをしたときだ。
ガァン!
……という衝撃音が周辺に響き渡った。
思わず会話がぴたりと止まる。
交通事故ではないだろうか? と思ってきょろきょろと周囲を見回すが、その様子はない。
「何の音でしょうね……」
まさかね、という感じでその場にいた全員が目を見合わせ、なんとも複雑な表情を浮かべた。
歌舞伎町といっても日本国内。そこまで治安が極端に悪いわけではない。
しかし、
ガァン!!
私の希望的観測を破壊する、再びの同じ衝撃音。交通事故ではあり得ない。
「これは……、アレですね」
「アレですね……」
完全に察した、という以心伝心が客と私の間に生まれた。
「珈琲、すぐ出ます?」
「今から抽出するんで、あと数分ほど……」
客の二人はすぐにでもここから離れたいといった口調だったが、残念ながらハンドドリップでは少し時間がいる。
しずしずと湯を垂らし、破砕した珈琲豆をふっくらと開かせてゆく。
銃撃音が間近で響いたとしても、その工程は変わらない。
じっくりと風味、香味を抽出するのがハンドドリップの肝心要というものだ。
湯気の立つ珈琲を手渡すと、その二人はすぐにその場から消えた。
さすがに「ごゆっくり」とは言えない。
私もすぐに交番へと走った。
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結局のところ『謎の銃撃音事件』の真相はわからずじまいとなった。
その日はまた別件で深夜に激しい流血沙汰があり、これはこれで話すと長い。割愛せざるを得ないのが残念なところだ。
さて、疫病禍に見舞われた歌舞伎町の半年間を俯瞰的に描いてみた。
書きながら自分としても思ったことが一つある。
ワクチンとかけて、銃撃ととく。
そのこころは……
どちらも打(撃)たれると、ちょっぴり痛い。