先日、とある大学院生が研究調査のために話を聴きに来たのだが、その際に「独立書店(あるいは独立系書店。以下、独立(系)書店と表記)の定義とは何か?」という質問をされた。何気なく使われている言葉ではあるがこれがなかなかの難問なのである。まず「独立」というが何からの独立なのか。そもそも定義づけする意味はあるのか?
取材してきて感じたこととしては、特に店主当人にとって独立(系)書店かどうかはあまり意味はないということがある。それに色々な店を見てきていて僕個人として思うことはひと口に本屋や独立系書店と言ってもそこには無限のグラデーションがあり、もし定義付けすれば必ずそこから漏れるものが出てくるということである。
それでもあえて定義付けするならばその意義が必要になってくると思うのだが、いったんここではそれは置いておいて、まずはこれまでこの独立(系)書店という言葉がどのようにメディアで使われてきたかを調べてみることにした。
キッカケは『本の雑誌 2021年5月号 特集:本屋がどんどん増えている』への寄稿原稿である。独立書店年表を書くのなら定義はどうなっているのかは知っておかねばならないな、と考えた。そこで、今回調べたのは日本で刊行されている雑誌での独立書店・独立系書店という言葉の扱いだ。
独立(系)書店という言葉は雑誌ではあまり使われていなかった
大宅壮一文庫で調べたところ、意外と国内の本屋について「独立書店」「独立系書店」と表現することは少なく、そのほとんどがイギリスやアメリカのindependent bookstoreについてだったことがわかった(『ニューズウィーク日本版』の1999年12月1日版が初出で、以降、主に『出版ニュース』にて独立系書店という言葉が出てくる。合計20誌)。
その代わりに使われていた言葉が「個性派書店」や「街の本屋」という言葉だ。国内の大型書店でなく、品揃えが独特だったり、空間が個性的だったりする本屋を指して表し、そういった店をいくつか紹介するというフォーマットが90年代前半から少しずつ定着していった。
(個性派書店の初出は『Hanako』の1996年11月7日版で『関西ウォーカー』の2019年11月19日版までで70件掲載。街の本屋の初出は『Winds』の1991年4月版で『アサヒ芸能』の2020年10月22日版までで74件掲載。)
では、なぜ日本の、大型書店ではない、品揃えが独特だったり、空間が個性的だったりする本屋は独立(系)書店と呼ばれなかったのか。
wikipediaによると、アメリカのindependent bookstoreは大手資本から独立していることが条件になっているようだが、商慣習も業界構造も日本と違っていて参考にならない(台湾でも「独立書店」があるが、これはアメリカと同じ意味なのかと思っている。要調査)。
というところで、さらに調べたところ、雑誌『本とコンピューター』の2003年6月版に掲載されている永江朗さんの記事「本さえ売っていれば「本屋」である」に独立(系)書店の定義づけがなされていたのを見つけた。
記事の内容を要約してから、定義づけについて引用していきたい。
独立(系)書店は何から独立しているか
記事では「まずは書店の悪口から。つまらない書店が増えた。」と始まり、その理由を述べ、打開案になりそうな以下の3点の具体例を挙げる。
- 異業種からの資本を得ること。それにより広大な敷地と売り場ごとの専門性を確保できる。具体例は阪急ブックファースト、特に渋谷店。
- ギャラリーや書籍以外の特別な商品を販売することで特定の興味を持つ客層にアプローチする。具体例はナディッフ。
- 情報の共有化と一括仕入れによる売れ筋商品の強化。具体例として恭文堂書店とその取組「NET21」
1はジュンク堂池袋本店やABC、2はそのままだとして、3は西荻窪の名店・今野書店も加盟している集まりだ。
さて、記事内ではその上で記事内前半部にある”これからは紀伊國屋書店のような都会型のナショナルチェーンか、宮脇書店や文教堂、TSUTAYAのような郊外型ナショナルチェーンしか、書店は残らないかもしれない”という悲観的な言葉を前提として、独立(系)書店の可能性を示すために定義づけを行っている。
長いが引用しよう。
”従来、独立系といえば、ナショナルチェーンやローカルチェーンではない書店を指すことが多かった。「街の書店」という言葉に近い。
雑誌『本とコンピューター』の2003年6月版掲載 永江朗さんの記事「本さえ売っていれば「本屋」である」
…略…
独立系書店は何からの独立なのか。
それはまず、取次を中心とした既存の出版流通システムからの独立である。
…略…
もう一つは、既存の書店像からの独立だ。
客も店も誰もが自明のこととして疑わない書店像を、どうやって壊して新しい書店をつくっていくか。独立系書店が生き延びるには、そこにしか可能性はない。”
頷ける部分が多い。特に"既存の書店像からの独立”というのはその通りだとも思う。分かりやすいところでいうと選書専門店・双子のライオン堂や本屋lighthouse、ON READINGにスタンダードブックストア、SPBSなどなど、カフェやギャラリー併設、雑貨販売にイベント開催、選書にもコンセプトがあるようなこれらの店は既存の書店像には当てはまらない。先の打開案であれは2番に当てはまるだろうか。
しかし、一点目の”取次を中心とした既存の出版流通システムからの独立”というのは現状には当てはまらないだろう。本屋Titleやブックスキューブリック、カモシカ書店、MINOU BOOKS & CAFEなどいわゆる大取次から仕入れている、店も多いからだ。これらの店が「独立書店でない」といわれたら違和感を持つのは僕だけではないだろう。
なので、論点となるのは”既存の書店像からの独立”となるのだが、ここで永江朗さんの記事「本さえ売っていれば「本屋」である」に戻ろう。
”従来、独立系といえば、ナショナルチェーンやローカルチェーンではない書店を指すことが多かった。「街の書店」という言葉に近い。”
とある。しかし、いわゆる街の書店として思い浮かべるのは駅前にあるような『コロコロ』や『ジャンプ』もあれば『家庭の医学』や児童書もあり、資格書や学習参考書もあれば小説や人文書も揃う、そんな規模は大きくないかもしれないがしっかりと街に根付いた店だろう。
だがそれだと、「既存の書店像」のスケールダウンしたものになる。では先にあげた本屋Titleやブックスキューブリックは独立書店ではないのか? その答えもまた否だろう。加えて、これら2店が街の本屋でないか? と言われればそれもまた違う。街の本屋でありながら、独立(系)書店であるということは十分に有り得る。
ということで、ここで記事内の初めの言葉に戻る。
"独立系といえば、ナショナルチェーンやローカルチェーンではない書店を指すことが多かった。「街の書店」という言葉に近い。"
そういえば下北沢の本屋B&Bは開店当初「あたらしい街の本屋」を謳っていた。
ちなみに、雑誌で特集する場合に独立(系)書店という言葉が使われないのは、永江朗さんが上記記事で挙げたような店に加えて、古本屋/古書店も含まれることが多いし、古本屋でありながら新刊を取り扱う店、その逆と様々なバリエーションの店も紹介することも多いからだ。ましてやつい5年ほど前までは新刊書店での個人の開業は少なく、古本屋での開業がほとんどだったことを考えると……本屋特集を組もうと考えた雑誌編集者が、何らかの特徴を持った、わざわざ行きたいと編集者が考える本屋を「個性派書店」という言葉で括るのも然もありなんと思えるだろう。
独立(系)書店の定義って必要?
さて、ここまで書いておいて何だが、斯様に多様性に満ちた本屋の世界においてわざわざ独立(系)書店という言葉をつくり厳密化する必要はあるのだろうか。
言葉は本来一緒だったはずのものを分ける効果を持つ。それでも独立(系)書店という言葉は必要か。仮に便宜的に必要だったとして厳密な定義付けが必要か、ということだ。僕はあると考える。その理由は議論の前提をつくること、と連帯だ。
まず、ひとつめの「議論の前提をつくること」について。
先に書いた通り、独立(系)書店の定義を定性的に考えると難しすぎるように思えるので、もしかしたらいったん永江朗さんの定義から離れて、勤務している人数や資本金の額、店舗数といった数値でシンプルに区切るのはどうだろうか。
この方法論のメリットはまことしやかに言われている「独立(系)書店は増えている」という言説について、どの程度まで事実なのかがわかるということだ。
実際、僕もそう言っているし限定的ながら見ている範囲で独立(系)書店が増えている実感はある。だが、定点的な数値として出せるかどうかというとまだ怪しい。これが分かりやすいカタチで示されれば、例えば、「街に本屋は必要じゃないか」や「全体として減っている書店数に対して独立(系)書店が増えているのなら、ある種の希望が持てるのではないか」といったことを自信を持って言えるようになるだろう。
その上で、独立(系)書店にもいろいろある。どういう店が多いのか。といったことを書いて(話して)いけば、2000年代に独立(系)書店が増えたがそのまま独立(系)書店が開きにくい・続けにくい構造は変わらないという状況に対する、変えるための動きにひとつの理論的支柱を与えることになるのではないか。
独立(系)書店の連帯
定義づけをする理由の2つ目「連帯」については、店主たちにとってメリットがあることだ。
言葉は何かと何かを分けて認識するためにできるものだができるものだが。加えて、分けられたものをまとめる、連帯する効果ももたらす。
(日本人とかアメリカ人とか猫好きとか犬好きとか、それがすべてではないがそのラベルをきっかけにして仲が良くなったり悪くなったりすることは多いだろう。その好悪や善悪はさておいて)
例えば、昨今話題の『東京の生活史』減数問題なども、仕入れにおいて構造的に弱者になってしまっている独立(系)書店が緩やかに連帯することで解決の糸口になることもあるだろう。イメージとしてはNET21の現代版というかインターネット的意識を導入したものというか、はたまたアメリカのABA(American Booksellers Association)や台灣獨立書店文化協會のようなものというか。
さらに妄想すればインターネット上で加盟店のマップが簡単に見られたり、大型店を含まない独立(系)書店だけの売上ランキングなんてのもあったら便利かもしれない。
きっとポイントは「緩やかに」ということな気がするけどどうだろうか。(入会したら義務があるとかなにか負担しなくちゃいけないとかそういうことじゃなくて。)
ここら辺の話が10/5火曜のイベントで出てきたら嬉しいけどどうなのかなあ。長くなったし最後はだいぶ話が飛んだ気がするし、まだまだ取材と調査が必要だなあ、といつものようにいつものごとく勉強不足は嘆きながら筆を置くことにする。良いのである。覚書なのだし。