『東京の生活史』減数問題で、本屋lighthouse関口さんが以下のツイート群で書いていることが本当にそうだよなあと思うわけで。
で、これを読んでいて思うのはやはり構造的(差別)問題については内部にいればいるほど加担しているのが分からなくなるものなのだなあということで。
構造的(差別)問題が難しい事のひとつに、自覚しにくいということのほかに、その構造が大きければ大きいほど関係者が多いわけで、ということは構造を変えるときにその関係者が何かしらの変化に対応せざるを得なくなるわけで。
どうも変化というものがひとは苦手らしいので、しかもだいたい変えてほしいのはその構造における弱者に当たることが多いわけで、弱者の言うことを強者が聞く理由というのはその構造内においては非常に少ないわけで(自分の立場や生活がどんな人にもあるわけでそれをした個人が責められるようなものではないと思うけども。悪いのはその行為をさせてしまう構造であるのだ)
かくして、「あなたの言いたいこと(不平)はわかるし筋も通っているけど現状を維持しつつ改善するしかない」という状況に至るのかなと思うわけです。
ところがどっこい、構造の外にいる読者にとってはそんなこと関係ないわけで、となると徹底的なユーザーファーストを貫いているAmazonに早晩負けてしまうよね、という話になるのも頷ける。
(おそらく関口さんがこのツイートで書いていることはそういうことよね)
Amazonのようにリテール側や作り手側のことをあまり考えないやり方が100%良いとはまったく思えないけども、少なくとも構造不況と30年近く(以上?)言われながら変わっていない現状を見るだに、もう少しユーザーのことを考えないと沈む一方だし、構造外のロジックに耐えうるシステムを作れないといろいろ厳しいんじゃないかなーと思っていて、それって出版業界だけじゃなくて、女性差別についてもそうだし政治についてもそうだよね、と思ったりするわけで。
うーん何が言いたいかわからなくなってきたけども、常に自分が何かしらの差別や不均衡に加担していることは自覚しつつ、常に「そもそもなんでこれをやっているんだっけ?」は忘れないでいたいよなーと自省したかったんだな、きっと。あと頭の中をまとめたかった。
うん、案の定のグダグダ文であった。