辻山さんと初めて話したのはたしかTitleオープン前のことだ。僕は独立してすぐの頃で生活費こそ確保していたもののいまのように本屋ライターとは名乗っておらず自分の店もなかった。どちらかというとWEBサイトの運営をメインにしていた頃のことだ。
リブロ池袋本店が閉店したのが2015年7月末、そこの書籍マネージャーが独立して本屋を開くという話をどこかから聴きつけ、まだほとんどのメディアが取り上げていない段階でインタビューしBOOKSHOP LOVERに載せたのだった。
場所は吉祥寺のくぐつ草。本書のタイトルにもあるように「小さな声」でまだ何者でもない若者に対して誠実に答えてくれたことを覚えている。
インタビューの際に印象的だったのは「生活」という言葉だった。いまあらためて当時の記事を読み返してみると"本屋はそのまま「その人が生きるということ」ということだと思うんです"とあり、記事の最後を僕は"「人が〈よりよく〉生きていくこと」=「生活」の本を揃える本屋Title。"と結んだ。
本屋Titleがオープンしたのはインタビューから程ない2016年1月。そこからはもう本稿を読んでくださるような本好き本屋好きなら辻山良雄さんの活躍はご存知だろう。
(僕も独立書店年表で、開業数が増えたきっかけとして辻山さんの著書『本屋、はじめます』(苦楽堂)について触れている。)
前置きが長くなったが本書はそんな辻山さんがTitleをオープンした年である2016年の12月から今年の2月まで、幻冬舎plusの連載「本屋の時間」に掲載したものに加筆修正・再構成したものになっている。
つまり、辻山さんが店に立ちながら感じた何気ない感情や思考が散文的に書かれているわけで、それがまあとても良いのである。長い前置きでも書いたように生活("くらし"と表現しないところが辻山さんらしい)を大切に扱う店が自身の生活を描くのだ。良くないわけがない。
淡々と、低めの体温で、秋の晴れた早朝みたいな文体で、身の丈の言葉で、静かに心に染み込んでいくような言葉が散りばめられている。
正直、書くことを仕事の一つにしている僕からすると羨ましくなるような文章で、どうしたらこんな文章が書けるのだろう? と取材の際にさりげなく聴いたこともあるのだが「読みなさい」と当たり前で大切なことをさらっと話されていて、でも多分、僕にはこういう静謐な文体はできないんだろうとも思う。声大きいし。「大きな声、輝く棚」になっちゃうよ。
憧れるけれど向いていない。もしかしたら目指してはいけない方向性なのかもしれない。気になった言葉を後学のために残しておく。
"あたらしい店が生まれるとは、ゼロがイチになるということだ。どこで店をやるにしても、まずは旗が立てられなければならない。この世界のどこかにわたしの旗が掲げられていて、それがパタパタと風になびいている……"
本書 p.20
和氣コメント「共感しかない。それにしてと最後の一文、目の前に浮かんできて良いなあ。」
"まともに思えることだけやればよい。
p.30
それは個人経営のよいところであり、その店が長く続いていくための秘訣である。"
和氣コメント「これも共感。素直に言ってそうじゃないとやっていけない実感がある。」
"店主の変わらぬ姿はその場所に落ち着きを与え、一貫した流れをつくる。店を一定の姿に保ち続ければ、そこにふさわしい本や人は、求めなくても自然と集まってくるだろう。"
p.41
和氣コメント「自分はどうしてもゆっくりとでも変わり続けてしまう方なので、自然と集まってくる方法論が別途必要だな、と。」
"店でモノを買う行為には、その店の姿勢に対して票を投じているという意味が含まれる。"
p.51
和氣コメント「こう言われて久しいけれど、投票されるような店を僕も売り場と態度で示していかないとなと思う。」
"本屋の本棚に知らない本が並んでいることは壁を意味するものではない。それは尽きることのない、世界の豊かさを示しているのである。"
p.55
和氣コメント「いまの日本に必要だし自分が本屋をやりたくなった理由の一つだよなーと。」
"ネット書店では、既にわかっているいま読みたい本は簡単に見つけることができるが、いま読む必要はないがこの先どこかで関わりそうな本とはなかなか出合うことができない。インターネットが得意とする利便性は、いつ<いま>とかかわっているからだ。"
p.98
和氣コメント「更新し続ける情報。インターネットの本質の一つだよなあ。」
"いのるということは、なにも神のまえで手を合わせることだけではない。毎日を生きることにもいのりはあり、よき明日を夢みながら仕事をする、誰かのことを思いながら食事をつくる、そうした行為にはすべていのりが含まれているように思う。"
p.122
和氣コメント「文章を書いていると「この文章は果たして本当に伝わっているのだろうか?」と考えることがある。文章は常に誤読をされるものだけれど、だからと言って伝えたいことが伝わっていないというのは悲しく寂しいことでもあり、であるならば僕のできることは精々「ちゃんと伝わりますように」と祈りながら拙い技術を持って書くくらいしかないのだ。」
"自分はこうした行為に抗うため、本を売っているのではなかったか"
p.172
和氣コメント「コロナ禍でトイレットペーパーが買い占められた近所のドラッグストアの棚を見てのひとこと。本屋を続けるということはクソみたいな世の中が諦めと共に迫る現状追認への反抗でもあると思うのだ。」
"わたしはひとりを愛するものだが、誰かと関わっていなければ、そのひとりさえも十分に愛せなくなってしまうだろう。"
p.184
和氣コメント「共感がすごい。単独行動が好きだから誰かと一緒の時も好き。常に一緒も常に一人もちょっと違うのよね。」
"ひたすら高速回転しているやつがいる。近づくと巻き込まれ、消耗することはわかっていても、「もっと」という欲には人を動かす力があるのだろう。思えば自分の店をはじめたのも、人の力では制御できない「高速回転」から身を遠ざけたかったのかもしれない。"
p.228
和氣コメント「人と比較しての速さからは遠ざかっていたいものです。」