偶然見つけた、東京芸術学舎での全5回の講義「いつか自分だけの本屋を持つのもいい」。元BRUTUS副編集長であり、現在はフリーランス編集者/美術ジャーナリストである鈴木芳雄さんを司会として毎回続きますワタクシの好みど真ん中の講義でございます。第二回のnomazonに続きます第三回は茅場町というビジネス街のど真ん中。しかも、「古いビルを残したい!」という思いから開店したという度肝を抜く森岡書店店主の森岡督行さんが講師でありました。
- 芸術学舎 http://gakusha.jp/
- 森岡書店 http://moriokashoten.com/
テーマは「本屋としての14年半」。
話の要点は以下4点でした。順に書いて参ります。
- 神保町のオススメ書店
- 一誠堂時代のエピソード
- なぜ独立したのか
- どうやって6年半の間やってこれたのか
1.神保町のオススメ書店
元は神保町の老舗古書店「一誠堂書店」で働いていた森岡さん。森岡書店の開店まで計8年間働いてたようです。
そのせいか話は神保町の話題に。「東西書肆街考」という本を片手に街の歴史を軽く説明しつつ、オススメの書店さんを熱く語っておりました。
教材の地図を片手に、以下のお店を紹介されていました。
- 和本専門書店の「大屋書房」 http://www.ohya-shobo.com/
- 写真・写真集に特化した「小宮山書店」 http://www.book-komiyama.co.jp/
- 近代文学専門店で店主の迫力に圧倒されたという「田村書店」 http://www.tamurashoten.com/
- 司馬遼太郎が通っていたという「高山本店」(@神田古書センター) http://takayama.jimbou.net/catalog/index.php
- 一般人でも出入りできるという古書総本山「東京古書会館の市場」 http://www.kosho.ne.jp/
- 満を持しての「一誠堂書店」(松本成長や徳富蘇峰、三島由紀夫も良く利用していたようです。 http://www.isseido-books.co.jp/index_jp.html
2.一誠堂時代のエピソード
それから自然と一誠堂時代の話に。
一誠堂の主人は「40歳くらいまではとにかく読んで知識を付けろ。市場はそれからで良い」と言うくらいの人で、というのも奈良時代から古書を扱う古書店で膨大な本の知識が必要になるからなのです。とはいえ、膨大な本の山をそう簡単に頭に詰め込める訳もありません。そこで、役立ったが「落丁調べ」という業務。本に落丁がないかを5枚ずつページを繰りながらページ数が5の倍数でないかどうかを確認する作業なのですが、ここで本を読めるのです。これが本好きには溜まらない! 新刊書店と同じように給料が低い古書業界では本好きではないとやってられないそうで、この「落丁探し」はそんな本好きにとっては最高の業務なのだそうです。
確かに本を読むことが仕事になるのは楽しそうです。いやもちろんしんどいことも多いでしょうが。
その他、古書業界の事情もちょろっと話して下さいました。リアルの店舗を持つ人がそんなに多くないこと。目録販売で食べている店が良い本を独占していることなどなど。
知られざる古書の世界が垣間見れて面白かったですね。
3.なぜ独立したのか?
一誠堂時代のエピソードが終わると、次はいよいよ森岡書店開店の経緯でございます。
楽しみにしておりますと話しだしたのはなぜか古い建築の話。頭の中に「?」が漂いまくっていた矢先に、森岡書店がその古い建築である第二井上ビルの中にあることをおっしゃります。
趣味で古い建築の居住状況などをつぶさに観察していた森岡さんですが、ある日この第二井上ビルに出会います。それはもう惚れ込んだ様ですが、当時は古道具屋が入っていたようで、古道具好きでもあった森岡さんはよく訪ねていたようです。
それがあるとき、古道具屋が店を畳むことを知ります居ても立ってもいられなくなった森岡さん。2006年2月。ついに開店を決意します。
しかし、ご多分にもれず不況真っただ中の古書業界であります。一誠堂主人は当然の様に止めます。そりゃそうです。ただでさえ儲からない本の世界。その上、建築が良いとは言っても場所が場所です。ところが、ここで不思議なことが起きます。なんとそのタイミングで一誠堂主人の近親者がお亡くなりになったのです。忙しくて森岡さんを止めるどころではなくなった一誠堂主人は「この話はなかったことに」なんて言ってしまいました。ここぞとばかりに辞表を出し森岡書店を開店したそうです。
第2井上ビル http://www.tekisei-kakaku.com/category/1384588.html
4.どうやって6年半の間やってこれたのか
そこからはもう大変。開業資金はとりあえずあったモノの何も考えずに開店したためにまったくお客さんが来ません。
550万円あった手元資金は物件取得や内装工事、仕入などで気付くと7万円しかなくなっていたそうです。
それでも、なんとかやっていたのですが「もうこれで限界だろう」と思っていたときにこれまた幸運な偶然が起きます。
晶文社の装丁で有名な平野甲賀の奥さん・平野公子と出会うのです。ギャラリーを運営している公子さんから「あなたもやったら?」と持ちかけられます。「じゃあ、やってみよう」と言うと息子の写真家・平野太呂さんの個展をしてくれるというのです。
これ以降、ギャラリー兼本屋が自分に合っているやり方だと思った森岡さんはギャラリーをやり続けることにします。平野公子さんのときのような出会いを糧に、また時には自分で企画をしたりして、いろいろな展示を行い、またそれが本屋と相乗効果を発揮して、どうにか今までやってこれたようです。
- 平野甲賀 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E7%94%B2%E8%B3%80
- 平野公子 http://blog.livedoor.jp/bzbz65/archives/2201178.html
- 平野太呂 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E5%A4%AA%E5%91%82
本は結局コミュニケーションするための手段
第二回と比べるとお喋りに近い印象で、非常に親しみやすい良い人だと思いました。というか上記のまとめを読んでもデータを聞いても分かるかと思いますが、勢いで開店しまってもどうにかなるというこの状況が凄いです。でも、それを成り立たせているのは、もちろん8年間の古書店経験もあるでしょうが、それよりもおそらく森岡さんの人柄であり、それは好きなことを語るときの目の輝かせ具合にも表れていました。
印象深かったのが「本は結局コミュニケーションするための手段。人と人をつなぐ媒体なんだ」という言葉で、ともすれば「本に対する偏愛」に凝り固まってしまいがちな本好きにとって本質をついた鋭い至言であると感じました。
森岡さんの著書
忘れずに森岡さんの著書を紹介させて頂きます。
これはさる雑誌の企画で、森岡さんが著名人に写真集を贈るなら…といった視点で写真集をセレクトしていき紹介していくというコラムが108冊分溜まったのでということで書籍化したものです。写真が綺麗で素敵な本でした。
こちらは森岡さんがライフワークとして集めていた日本の対外宣伝グラフ誌を紹介したものです。写真家の勉強などしていますから当時の一流デザイナー・写真家を集めて作られたFRONTくらいは存じておりましたが、他にもいろいろあるのですねえ。
この話の流れで出てきた、終戦後、広島にあった「アトム書房」の話は凄かったですね。なんと原爆ドームの横で古本をアメリカ人相手に売っていたっという…。いやー凄い根性でございます。その強かさ! 爪の垢でも煎じて美味しく頂きたいものでございます。
アトム書房 http://yutakasugimoto.tumblr.com/
折り返して地点
第一回目ブックディレクターの幅さん→第二回目ユトレヒトでありnomazonでもある江口さん→第三回目森岡書店の森岡さんという流れでここまで来ましたが、ようやく折り返し地点でございます。そろそろガチでリアルな本屋事情を伺いたい気持ちになってまいりました。第四回目は元SPBS店長で現BOOK TRUCKをやっておられる三田修平様でございます。移動書店と言いますとかの有名な松浦弥太郎先生を思い起こします。アナウンスによりますと本屋の実務面のお話が多いようなので楽しみではございますが、はてさてどうなることやら。次が楽しみなのでございます。