こんにちは。文学堂美容室retri 生田目です。
梅雨の時期になり、雨が降ることが増えてきました。この時期になると、ちょうど10年前に屋久島に行ったとき、雨が多いと言われる屋久島でも地元の人がちょっと驚くくらいの雨が降ったことを思い出します。
もののけ姫の森のモデルとも言われる「白谷雲水峡」というところに行ったのですが、雨によって山の中にできた小さな川を渡ったり、ただでさえ濃密な森の空気がさらに濃くなっているような感じがしたりと、大雨という状況ならではの体験をすることができました。晴れていたら「太鼓岩」という自然の展望台みたいなところから綺麗な景色が見られるはずだったのですが、雲で真っ白になっていて何も見えず……。
でもその景色もその時にだけ見られたものだったかと思うと、偶然その時その場所で起こる出来事や、もともと持っていたイメージとのギャップなんかが後々記憶に残ったりするので、貴重なことだったのかもしれないなと。
旅行の前や後にその場所が舞台になっている小説や旅行記を読みたくなるのは、自分の中にイメージを膨らませたり、意外な出来事に出会う伏線になったりするからかもしれません。五感で実際に「体験」する、というのが旅の本質の一つなのかもしれないなと。
そして旅行に行くと、通り過ぎていく風景やたまたま出会った光景の中に、そこで生活する一人ひとりの暮らしや人生、その場所の歴史があるのだなということを思います。旅先で見られる景色や出会う人たちのことを深く知るのは短い期間ではなかなか難しいと思うのですが、やはり小説やエッセイなど本を読むことで、人や場所の点と線が繋がっていく感じがします。
今回は、旅と歴史を連想する本をご紹介しようと思います。
「台湾漫遊鉄道のふたり」(楊双子 著 三浦裕子 訳、中央公論新社)
1930年代後半の台湾を舞台に、日本の小説家と台湾の通訳者という二人の女性が鉄道で各地を巡りながら過ごす一年を通して、ある時代とその場所に生きる人々を描き出す小説。その土地の代表的な名物や日常の食事、滅多に食べられない宴会料理や家庭料理など、最初から最後まで様々な食べ物が出てきてお腹が空きます。
「食べたいと思ったものを食べられることは、人生で最も幸せなこと」
という食欲と食べ物に対する好奇心が旺盛な小説家の視点で描かれる85年前の台湾は、活気と魅力あふれる場所としてイメージしながら読んでいたので、現在の台湾もぜひ訪れてみたいと思いました。
食べ物や文化、歴史などについて詳しく、説明しながら案内したり料理したりしてくれる通訳の女性とのやりとりは、基本的に軽快で微笑ましくて楽しく読めるのですが、時折ほんの一瞬、瞬くような違和感というか引っ掛かりのようなものがあって、自分自身に置き換えて考えてしまうようなテーマもありました。
知らない土地のことというのは、どうしても自分のフィルターを通した視点で見てしまうものではないかと思うのですが、そういった外から見ただけではわからないような、見る視点で変わってしまうような事柄はたくさんあって、やはり人との関わりの中で感じたり考えたりしないと見えてこないものがあるなと。
著者が「文章を通じて過去の風景に思いを馳せてもらいたく」て今はもうなくなってしまった建物や自然の景観を書き、今も食べられるものが「歴史的事物になってしまう」前に「味わい、知ることができるように」食べ物をたくさん書いたというこの物語を読んで、読者が実際に味わったりイメージしたりすることが、場所や、時間や人を結んでいく、ということにつながるのかもしれないなと思いました。
「旅のいろいろ」谷崎潤一郎(『陰翳礼讃』[中公文庫]収録)
100年近く前に書かれた、谷崎潤一郎の旅に関するエッセイ。
- 気に入った土地とか旅館とかは滅多に人に吹聴せず文章に書くことも禁物にしている
- 宣伝されている場所は、人が寄り集まるのでその裏をかいて旅に行く
- スピード旅行の逆を行って、できるだけ長くかかって見て廻る旅を奨励する
といった、今読んでも頷けるような旅についてのあれこれが、大作家の流れるような文章で味わえる随筆です。いわば「谷崎流旅行術」のような、独特の視点から切り取られた旅の提言みたいな感じだなと。
電車でのマナーや旅館のサービスについてなどへの小言や文句もいろいろ書かれていて、今も昔も変わらないことがあるなと思いつつ、小説作品にも反映されているような美意識が根底にある気がして、一人の人間としての谷崎がイメージできる面白さもありました。
特に時間ということについて、
「時間に対する忍耐力を失い、じっと一つの物事に気を落ち着けて浸りきることが出来なくなっているのであろうか」
という当時の世の中に対する谷崎の認識は、さらに効率的に物事が動くようになっている現代ではより顕著になっていることかもしれないなと。
「不便を忍ぶところに云い知れぬ旅情を覚える」
という作家が旅に何を求めるのかということを通して、変わっていく時代と社会の中で、その一員としてどう振る舞うのかということを考えるきっかけになるのではないかと思いました。
日常から離れて、想像もしなかった思いがけない出来事に出会えることが旅の醍醐味だなと思うのですが、本を読んで頭の中に思い浮かべた風景や場面、情景に、実際に見たり食べたりする「体験」が重なることで、何か満たされたような、完成するような楽しさを感じられることも面白さとしてあるなと。
その上に歴史という、今につながるたくさんの時間が層のように重なることで、旅というものが物語に近くなっていくような感じがしているのかもしれません。本を読むことも、そこに書かれていることは言葉とイメージでありながら、読む人はその瞬間に体験しているのではないかと思うので、まさに旅をしているようなものなのかもしれないなと。
読書も旅も、日常を離れてイメージを追うということによって、普段見たり考えたりしていることの裏側にあるものを垣間見せてくれるような感じがします。
雨の多いこの季節、毎年水害が起こっているので被害がないよう祈るばかりですが、個人的には雨の日は読書が捗るので、本の中に旅を、旅の中に本を見出すのも楽しいのではないかと思いながら、今日もまた読書日和です。