今回は文量がやや長くなるので前後編の2部構成となります。予めご容赦ください。さて、以下、本文となります。
札幌市営地下鉄北12条駅から北海道大学方面へ歩いたところに、今回訪れた弘南堂書店があります。立地は北海道大学の対面。今回は地下鉄を使わず、札幌駅の方から歩いて行きました。本来なら地下鉄で行くのがいいのですが、弘南堂の前に南陽堂書店を訪れていたためです。しかし今回(弘南堂訪問:2021年12月)の札幌は大雪。かなり近い距離でも歩くのはやっとでした。
店の前で上着とかばんに付いた雪を払ってから入店。暖かい店内で棚を見物。大学近くの古本屋なので、やはり人文社会科学や自然科学の本は充実していました。それよりもやはり北海道やアイヌ、樺太や日露関係(いわゆる北方関係文献)が豊富でした。
レジの後ろには自治体史がずらり。その眺めを見るだけでも壮観です。また、店の奥には出版に関する本も。ある程度まとまっているのが個人的に嬉しいところでした。棚の分類は店舗HPに載っているので、詳しく見たい方はそちらを参照してください。
本を選んで会計、のタイミングで話が始まる。『札幌古書組合八十年史』(以降『組合史』と記載する)のこと、弘南堂のこと、札幌や道内の古本屋のこと、反町茂雄のこと、店主のことなどなど……。
まず『組合史』。今回話を伺った方(店主)は序文・年表・組合史通史(前編)の執筆を担当。それ以外にも座談会など、『組合史』作成の中心人物でした。過去の資料がほとんどなく苦労なさったことや年表作成が一番苦労した(数年かかった)、とおっしゃっていました。
年表については「全古書連ニュース」曰く、「これがゼロからの着手で膨大な時間と手間を要したのですがこのときはそんなに大変とは夢にも思いませんでした」(市英堂書店店主)とのこと。店主が言っていたこととほぼ同じであり、年表作成にはかなり苦労したことが見て取れます。また、『福岡古書組合七十五年史』を参考にしながら、「読んでもらえる」ものを作ったから、『組合史』を発行してからかなり反響が来ていたとも。個人的にはこの『組合史』、札幌の古本屋を本格的に回る前に読んでおきたい1冊です。
話が進み弘南堂書店について。弘南堂の話の前に少々補足。南陽堂は店主の父が創業した古本屋です。しばらくは店主も南陽堂にいたみたいですが、店主の兄が南陽堂を継ぎ、独立して弘南堂を開店。名前の由来は弘文荘(反町茂雄)の「弘」と南陽堂の「南」。取り寄せた『北の文庫 第71号』の「古書専門弘南堂書店高木庄治氏聞き書き」(以降『聞き書き』と記載する)によれば、「古本屋業の本質検討」という反町茂雄が一誠堂書店時代に書いたものに影響を受けてこの名前を付けたとのことです。
よく来ていた客は藤島隆など。さらに『聞き書き』によれば更科源蔵や知里真志保など、様々な方がこの店を利用していました。また、自分が昔とても読んでいた向井豊昭も弘南堂を訪れたことがあるとお話をしてもらいました。古書の販売以外にも資料復刻や他の本への寄稿も行っており、この前に伺った南陽堂で買った『北海道の出版文化史』(北海道出版企画センター)への寄稿と資料協力をしています。
昔は尚古堂(記録上札幌で最初の古本屋)や一誠堂(新川堂から改称。酒井卯吉(おそらく初代?)の一言で一誠堂に改名したとか)など札幌にはたくさんの古本屋があったようです。また、新刊書店では富貴堂があったものの今はなく。
ここに挙がっている本屋以外にもえぞ文庫などもあったようですが、店主が亡くなって閉店したりなどで今は数少なくなりました。
道内の古本屋では函館の浪月堂の話も。かつては函館にもかなり本屋があったものの(『組合史』には40軒ほどあった時代もあった、という話があります)、今では古本屋は浪月堂のみ。そのうち訪れてみたいものです。函館以外では旭川の旭文堂書店の話も出てきました(弘南堂で旭文堂の初代店主が働いていたという話)。やはり他の都市でも古本屋の数はかなり減っている、という話も……。札幌以外でも様々話は聞いているものの、店売りはやはりどんどん減っていくのだなぁ、と思いながら話を聞いていました。
『組合史』を読んでいくとどうやら弘南堂には「小樽でお店をやっている岩田さん」が修行していたという記述がありました。また、『組合史』内には他にも弘南堂店員として岩田書店店主の名や独立した旨の記載があることから、岩田書店は弘南堂から分かれた店であることがわかります。これ以外にも札幌の古本屋として、稲野書店、サッポロ堂が独立しています。さらに、『聞き書き』によれば、後に旭川で旭文堂書店を開く中島哲夫も住み込みで働いていたようです(よく見ると親類のようです)。
前編はここまで。後編は店主の話や資料から分かる範囲のものを拾い上げていきます。