週末から寒さが厳しくなってきて気持ちがダウナー気味の和氣ですこんにちは。お酒の翌日の寒さは身に応えるよね!?
そんなこんなで連載「真夜中の本屋さん」ついに最終回です。5回目では歌舞伎町を変えたかもしれないcohonの偉大さ? なのか何なのか分からない謎の存在感が分かった回でしたが、最終回は果たしてどうなるのか!?
真夜中の歌舞伎町で起きた実録本屋レポ。「真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (最終回)」スタートです。
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (1)
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (2)「スタッフが店に居座って帰らない」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (3)「さらば cohon、永遠に…」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (4)「生きる。」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (5)「cohonは歌舞伎町を変えるか」
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最終回 東京の夜空の下
cohonの開業日が5月23日という中途半端な日になったのには理由がある。キリよく6月1日に店を構え、その日を開業日にしようというのが当初の計画だった。
店の基幹となる資材の大半が揃ったその日、いてもたってもいられず、外で仮組みをしてみることにした。仮組みであるから場所は徒歩圏内とし、しかもあまり人目につかない方がよいだろう。
特にアテもないまま荷物を抱えてしばらくさまよい、どことなく薄暗い場所を見つけだした。それが、よりにもよって街娼はびこる大久保公園の裏手だった。現在も変わらずcohonが営業している場所だ。資材を組み、店の様子を写真に収めていると、予期せず来客者が訪れてしまった。その経緯については第2話に詳しい。のちのスタッフである。
開業していないのに売り上げがあるのもおかしな話だ。結局、仮組みで終わるつもりだった23日を開業日として新宿税務署に申請し、cohonは歌舞伎の中でも特にクセのある場所を主戦場にして絵本と珈琲の専門店というカフェを営業することとなった。
そんな成り行きばかりの開業から、既に半年以上が経つ。市民から警察に通報された回数は10回以上。うち1回は警告を無視して営業を強行し、もう二度と路上販売はしませんという誓約書は3度書かされた。
意識不明の泥酔者の介助は4人を数える。多くは日本人だったが、スペイン人を介助したこともあった。目の前で殴り合いを始めた男たちもいたし、目の前で手首を切った女もいた。そしてその間、路上で淹れ続けた珈琲の数は既に700杯を超える。
このコラムではこれまで自身の経験した出来事をなるべくミクロに、濃密に描写することを心がけてきた。
歌舞伎町という誰もが知る街でありながら、その深層にまで触れる経験はそう多くない。それを文章として追体験するためにはこの街の俯瞰図を大まかに写すのではなく、キャンバスへ油絵の具を何層にも厚く盛り上げるような濃さと細部の描き込みにこだわらなければならないと考えた。
結果的に絵本と珈琲に関する言及がほぼないという事態に至ったが。
これまで描写にのみ特化して書いてきたので、今回は少々筆者の「思うこと」も含みたい。エピローグであり、あとがきのようなものと理解していただければ幸いである。
そもそも深夜の歌舞伎は意外と喫茶店が少ない。いくつかの老舗はあるがそのスジの人たちで占められていてあまり気軽に使える雰囲気はなく、大手チェーン店のカフェはキャバ嬢とそのスカウトが給与や待遇を巡って揉めているケースが多い。どちらにせよ、落ち着いて珈琲を楽しめる環境ではない。帰り道にほっと一息つける場所としての喫茶店の需要が、どうやら潜在的にこの街にはあったらしい。
一人ひとりの注文ごとに豆を挽き、ガス火で湯を沸かす。淹れ終わるまでの間、お客様の話を聞くこともあれば、こちらの経験談を話すこともある。椅子もなければ屋根もないこの環境で、2時間以上滞在なさるお客様も決して珍しくない。
その間に香りにつられた他の来客があり、気がつけば今知り合ったばかりの人々がワイワイ話しているのは、当店ではよく見る光景だ。
深夜に歌舞伎の路上で珈琲を飲むという経験、そこで知り合った人たちとの緩やかなコミュニティを含めたものが、cohonにしかない唯一無二の商材であると私は考えている。この「経験」と「コミュニティ」、人と社会を構成する原初的な要素は、この現代においてむしろその価値と重要性を増しているのではないだろうか。
スマホの画面には表示できない特別な体験、巨大通販サイトでは購入できないモノ。経験とコミュニティを売るというコンセプトは、cohonがまだ具体的な形になる前から意識はしていた。店主の知識、技術、センス、パーソナリティ、社会への取り組み。多種多様な価値観に対応できる能力が求められる時代になったということも示している。
並大抵ではない。しかし活路と勝機はある。その一つの実証として、cohonの中目黒での営業を挙げたい。
今回、カフェ業界の世界最大手チェーン店のロースタリー(焙煎所)の目の前で営業を始めてみた。緑と黒と白で構成されたロゴ。中心にポセイドンが描かれた、そう、MacBook(流暢に)をどや顔で開くための、あのカフェだ。
ロースタリーはシアトルやミラノなど、世界中の錚々たる都市の5ヶ所にしかなく、中でも東京店は世界最大の規模を誇るという。その目の前で0.1平米の個人カフェが殴りこみにやってくる。これほど痛快かつ狂気の沙汰はほかにあるまい。
総4階建て、延床面積はcohonの2万8千倍。開業資金の差となれば天文学的数字に上るだろう。世界的な建築家の設計した豊かな間接照明の溢れるファサードを遠目に見ながら、あえて当店の珈琲を飲んでくださるお客さまがいる。正直、驚きである。
カップを持つ手が震えるほどの寒さだ。一口すすり、ふうっ、と深く吐く息は白い。
「……美味しいなぁ、これ!」
「美味しいでしょう?」
思わず顔を見合わせ、にんまりしてしまう。その何かを含んだ笑みだけで、言いたいことは充分伝わる。この感覚の共有もcohonの経験とコミュニティの一つかもしれない。
柔らかい間接照明は冬によく合う。
寒い。はっきり言って、くそ寒い。
「いいんですよ、ここで珈琲ができあがるのを待ってる時間も素敵ですから」
そうおっしゃてくれた品のあるお客様だが、数分後、明らかな震えが見てとれる。だが仕方ない。それがcohonだ。
今夜もcohonは東京の夜空の下で営業している。
ラブホテル街の看板を見上げ、六本木の摩天楼を見上げ、巨大なロースタリーを見上げ。時に警察に通報され、時にやくざに怒られ。
そして時に人を笑顔にしながら。
おしまい
*special thanks *
これまで度重なる締切の遅れを笑顔で対応していただいたBOOK SHOP LOVERの和氣さん、こんな素人原稿を最終回まで読んで下さった読者のみなさま、そして多くのネタを提供してくれた歌舞伎の懲りない面々。
関係されたみなさまに心よりの御礼を申し上げます。
そして願わくば、cohonへお立ち寄り下さるお客様が一人でも増えますことを(売り上げ大切!)。