学生時代、臨床心理士を志していた。そこから紆余曲折あって現在に至るわけだが今でも「心理」や「無意識」という言葉がつくものにはつい反応してしまう。
本書もそのひとつだ。
書名も素晴らしいがデザインも素敵だ。寄藤文平氏のイラストはいつ見ても軽やかな気持ちにさせてくれる。
さて、内容はというと伊藤計劃『虐殺器官』にも登場する考え方「受動意識仮説」を提唱する前野隆司氏が無意識について知るために4名の方と対談したものをまとめている。本書の見どころは科学者でありながらより人間に近い人工知能を求めるうちに一見、科学とは関係のない分野に興味を持ち、それを科学的な考え方も踏まえ氏が咀嚼している過程だ。
科学者が、無意識について調べるために心身統一合氣道会の会長や僧侶と話すなんて組合せが面白すぎる。
対談したのは上記2名と株式会社森への社長、東大医学部付属病院の医師。驚いたのが構成もこの順番で書かれているのだが、後になるごとに話が抽象的になっていき、一番理解しやすいと思っていた最後の東大医師の人との対談がぶっ飛んでいたこと(医師なんだし一番「科学的で論理的な」話になると思うでしょ?)
正直、何を言っているのか分からなかった。自分の勉強不足を嘆くばかりである。
ちなみに、心身統一合氣道会会長との対談はとても興味深かった。
特に印象的だったのが「氣は物理的に存在しているわけではないけれども、概念として「ある」と考えると上達する。」ということ。手元に無いので正確ではないかもしれないがだいたいこんなことが書かれていた。
人の動きとか心の動きとか複雑過ぎて、しかも、要素に分けて考えるとうまく理解できないものを「それそのもの」として理解するためにあえて使う概念って今回の氣みたいにあると思うんだよなあ。もちろん技術が進んでそういった現象みたいなものを科学的な言葉で名付けしてコントロールできるような日はいつか来るんだろうけども。
複雑系とかカオス理論とか心理学で言うとゲシュタルト理論とか触りしか知らないけども、そういうのに近いのかもなーとなんとなく考えたのだった。