相馬駅から原ノ町方面に歩いて数分。公園の近くに今回訪れた書林堂はあります。ちなみにgoogle先生の地図で「書林堂」と入れても出てこないので、日本の古本屋から住所を引っ張り出すのがおすすめ。
この時は相馬野馬追のタイミングで本屋を巡っていました。相馬野馬追の合間を縫って、初日に小高、2日目に相馬と、なかなかのハードスケジュール。この日も快晴でした。伺った日は相馬野馬追のメイン、お行列、甲冑競馬、神旗争奪戦があった日で、書林堂を見たあとは相馬中村神社まで歩き、総大将のお上がりを見に行ってました。
店に入る、と通路脇は本のタワー。店主曰く「ちょうど買取があった直後だったからあまり整理できていない」とのことでした。棚を見ると左半分は文庫新書。右側の棚には白っぽい本と郷土資料がありました。個人的には地域で作られた詩などの文芸同人が置いてあったのが印象的でした。
本を手にとって買うタイミングで話を伺う。聞けば店主の父は戦前から本郷で「水島書店」という名で開いていたが、後に相馬に戻って書林堂を開いたとのこと。水島書店時代は思想哲学系の本を取り扱っていたそうです。
気になったので少しだけ資料調査をしたところ、水島書店を本郷でやっていたという話自体は日本古書通信社から出ている『東北の古本屋』に記載がありました。また、その水島書店がいつからあったのか、ということについては「日本古書通信 390号」に収録されている「新集編 全国古本屋地図① 北海道・東北・北関東」の「福島県の古本屋」に記載がありました。
記事を引用すると「昭和十一年、東京本郷に店を出した最古参であり、戦時中疎開してからそのまゝ戦後開業した。」とあり、この記述が正しいなら、水島書店は1936年から数年間だけ本郷に存在していたことになります。
なお、「日本古書通信」を見ていると、前述した記事よりも前に出ている「仙台・福島・郡山古書店地図」(「日本古書通信 304号所収」)に気になる記述がありました。福島・郡山・いわきの古本屋を紹介した後、「会津若松に一軒、古書店がある由きいているが、まだ行つていない」(原文ママ)、という記述が。おそらくこの会津若松の古書店は勉強堂書店ではないかと勝手に思っています。一度たもかくとセットで行きたいところですが、果たしていつになることやら。
会津の話のあとに、「福島県には現在これ以外に古書店はない様である。」との記述を見つけてしまいました。この記述が果たして本当なのか、それとも持っている情報がこれだけ(今とは情報量が違うことは考慮しなければならない)なのか、気になる記述でした。
店主に聞けば戦前から本郷でやっていた頃を通算すれば、浜通りではかなり古い古本屋ではないか、とのことでした。こちらについては目下調査中であり、結果について分かればどこかで増補したいところです。
個人的にですが、店主との話で印象に残ったものがいくつか。まず「新刊書店がなくなると古本屋にもボディーブローのように影響が出てくる」という話。本屋自体は1軒だけでは成り立ちにくい(非常に大きな売り場面積を持ち、大量の本を入れている本屋も、もしかするとそう思っているかもしれない)、ある種の補完関係にあるのではないかと改めて感じる話でした。
また、3.11やその後の原発事故による避難などで「福島県北部ではいい本がだいぶなくなった」という話も。本だけ置いてきぼりにされると虫食いや色々と状態が悪くなったりするので、やはり本には人の手がかからなければ維持できないものだと感じました。
今回買った本は『相馬地名考 相双の歴史とロマン』(相馬郷土歴史会)。地方の古本屋を回る醍醐味の一つ、地域の郷土史の本です。おそらくこれは通常の出版流通ルートでは出て来ない本ではないかと思います。
奥付を見ると、発行場所は福島県立相馬高校内にあった相馬郷土研究会。印刷はスミノ印刷、とありました。著者の片方が「角野」という名字の方なので、もしかするとこの人の印刷なのかもしれませんし、ひょっとすると著者は教師だったのかもしれません。この辺は調べていないのでそのうちに軽く調べておきたいところです。郷土史は地域の人によって担われている、と感じられる本でした。