今春、江古田に本屋をオープンする予定の百年の二度寝さんの連載第四回目です。
元書店員がいかにして独立書店になったのか。第三回目はBOOKSHOP TRAVELLERに出店する前後のお話。
その4:「突然本屋」になることに
その申し出は唐突であった。
お世話になっている雑貨店のオーナーに、店舗奥にあるスペースに急な空きが出たが、もしよければそこで本の店をやってみないか? と打診されたのだ。いまの状況で新しい借主を探すのは難しいので、と提示された条件は破格中の破格。いまを逃したら一生めぐり逢えない事が確実な好条件だった。オーナーとは気心のしれた仲だし、放任主義者なので、好き勝手も出来る公算大。
明らかな大チャンスである。
問題があるとしたら一にも二にも私の体調だった。もし以前のように何ヶ月も寝込んでしまうと、お店の時間はそこで止まる。売上に一喜一憂する日々は脆弱性を抱えた精神にどんな負荷をかけるか、まったく想像すらつかない。
最終的にスペースを借りることにしたわけだが、決断したと言うよりは返答期限が迫ってきたので、なし崩し的に「やる」と返答した感じだった。雑貨店の手伝いをすることやSNSの運用を行うことを条件に、ただでさえ破格な家賃をさらにディスカウントしてもらった事情も大きい。
そんなこんなで床をペンキで塗り直すところから準備を始めた。が、何をどう塗ったら良いのか皆目見当がつかない。ググッたところで自分たちのケースとは微妙に異なる事例が膨大に流れ込んでくるだけ。出費は痛いけど業者さんに頼むべきかもしれない……と思っていたところでひらめいた。
「義弟に聞けばいいのか!」
義弟は建築士資格持ちで、現場監督の経験もあるし、集合住宅かなにかの管理か何か(建築知識がゼロの私は、彼が何を仕事にしているかをよく理解してないのです)をしているのである。さっそく彼のLINEに質問を投げたところ、わざわざ電話をくれて床の塗装について事細かに教えてもらえた。
「なるほど、知り合いに助けてもらう手があるのか」と味をしめた私は、知人の知恵を借りまくる事で開店前のあれやこれやを乗り切った。とりわけ、ご自身の専門性と本に関する知識を併せ持っておられるBookshop Travellerの棚主さんたちには助けられっぱなしであった。
10年近くを「職業=病人」として暮らしていた私のような人間に、こういう時に助けてくださる方が結構いらっしゃる事には、自分でも驚いた。趣味の本屋時代に築いた人間関係が主に活きたが、前述の義弟や、就労移行支援の施設で出会った友人、SNS経由で知り合った方など、本屋とは無関係につながっていた人の助けも借りている。齢40をこえて悟ることでもないけど、やはり人間関係と言うのは得がたい財産なのである。
本屋の準備に追いまくられる日々を過ごしている間、ただでさえ乏しい私の読書量はほぼゼロになってしまった。そんな慌ただしい毎日に、少しずつ読んでいた本に、「地元を生きる」という社会学の専門書がある。
公務員、教員などの仕事に就いている「安定層」から、不安定で危険な職場を転々とせざるをえない層まで、沖縄の各「階層」に属す人たちの生活史を綴った書籍。そこで「中間層」と位置づけられ詳述されるのが居酒屋の経営に挑む若者達であった。
自分の現状と重なる立場の人が登場した事に驚きながら読んでいると、彼らもまた身内の専門知識を頼りにしたり、居酒屋の経営者どうしやお店のお客さんとの関係性を日頃から繋いでおき(この章の書き手である上原健太郎氏は、その縁を「地縁」「血縁」になぞらえて「職縁」と記述している)、いざという時はその関係性をセーフティーネットとして活用したりしている。
経済的な基盤が万全ではなく、高い学歴や資格も持たない彼らにとって、人間関係というのはとても大きなウェイトを占める財産であり、彼らは(それが財産であるという自覚は無いにしても)職縁をつなぎ止めるために貴重な休日を「社交」にあてることも厭わない。(この本の後半の章にはその財産=社会的資本を充分に持たない階層の方々の、困難な生についても詳しく述べられている)
いまの自分を支えているもの、自分にとって頼りになる資本というのは、自分自身の学歴でも職能でもなくて、自分を取り巻く信じられないくらい優しい人達との関係性なのだな、という事がしみじみと身にしみた。
そしてそういった事に気付かせてくれる「本」との関係性って、社会的資本に恵まれていない方にとってのセーフティーネットになり得るのではないかと思ったりもした。
もちろん、具体的な人間関係と比べると遥かに非力ではあるけれど、追い詰められた人達自身、あるいは当事者の周辺に生活している人達が本に出会うことで、彼らが強いられている困難を軽くするお手伝いが出来るのであれば、私はものすごく嬉しいし、本屋冥利に尽きると言っても過言では無い。
って、ちょっとかっこつけすぎかつ我田引水であり、472ページほどある「地元を生きる」(しかし、ソフトカバーの「重くない」造本がすごくステキなのです)で後ろから殴られやしないかとビクビクしてしまいますけどね。