ようやく涼しくなってきたので下北沢にあるBOOKSHOP LOVERの本屋兼事務所BOOKSHOP TRAVELLERで棚替えを実施したのですが、楽しい反面かなりしんどくて更新が遅れた和氣ですこんにちは。
連載「真夜中の本屋さん」第5回目です。4回目では歌舞伎町から六本木に移動してcohonですが、あれ? 歌舞伎町に戻るの? どうなの? と気になって仕方ない真夜中の歌舞伎町で起きた実録本屋レポ。「真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (5)」スタートです。
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (1)
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (2)「スタッフが店に居座って帰らない」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (3)「さらば cohon、永遠に…」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (4)「生きる。」
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第5話 cohonは歌舞伎町を変えるか
その青年は、まだ子供のようなあどけなさをいくらか顔に残していた。慣れた手つきで店の締め作業をてきぱきと進め、最後に正面入り口のシャッターを降ろしていく。
作業が完了するのを先輩の料理人たちが傍らで退屈そうに待っていたが、彼は意にも介さず、戸締りの確認を入念に行っていた。夜毎六本木の美食家で賑わうその老舗串揚げ屋もようやく一日の営業を終え、すべての明かりが静かに消されたようだ。その店の厨房で修行に勤しむ彼が、ぺこりと私に会釈をした。
「お疲れっしたっ!」
彼はきびすを返すと軽い足取りで駆けてゆく。先輩たちは既に駅の方向へと歩き出していた。
「お疲れさまでした」
もちろん私も同じように会釈し、彼の背中を見送った。同じ接客業として理想的な、とても気持ちのよい関係だと思う。ここまで街の人たちに受け入れられた無許可営業店もそうそうないのではないだろうか。
高級寿司店の職人、クラブのオーナー、スナックのママやイタリアンの名店のシェフ。さまざまな人々が当店の珈琲を飲みに訪れてくれ、そして温かくcohonというこの小さな違法店を見守ってくれていた。
六本木での営業は順調そのものだった。これ以上なく、幸せな環境といえるだろう。しかし、その一方でーーー、
この居心地のよさに安住していてよいものか?という問いが常に心の片隅にもやもやと浮かんでは消えていた。このままでは自分だけを美しく映し出す鏡を妄信する魔女と同じことではないか?
あるいは赤い機体に固執する某大佐の、「六本木に残る絵本屋は、重力に魂を引かれた人だ」というあの劇中の有名なセリフもまた、私の心を揺り動かし続ける一因となっていた。
もちろん、二の足を踏む理由は言うまでもない。なにせやくざに一度怒られているわけで、同じ場所で営業を再開するのはほとんど自殺行為といっていい。仮に場所を変えたとしても同じ人物に見つかってしまえば逆鱗に触れるであろうことも想像に難くない。
しかし、こうも考えられる。
「ばれたらどうせ怒られるのなら、少し移動したところで結果は同じなのでは……!?」
これはコペルニクス的転回をもたらした。やけくそと言ってもいいし、あるいは毒を食らわば皿までと言ってもいい。ともかく、やっちまおう。やっちまってから考えよう。それが結論だった。
道具を準備し、服装を整え、いつも通っていた道を歩き出す。途中で大番会館、第6トーアビルの脇を抜ける。どちらも歌舞伎で有数の“闇”深い場所だ。ホストたちの客引き、ナンパ、道路脇で嘔吐する男女。劣悪な雑踏を抜ければ、大久保公園はその先にある。
およそ2か月の空白を経て、ついに歌舞伎でのcohonの営業が再開されたのだった。しかも、よりによって以前やくざに怒られたその場所で。
私が店を構えるそのエリアは、昔から街娼が客を待ち受ける場所として知られていた。誰が呼んだか、援交通りという通称まである。
当然治安はよくなく、もちろんひと昔前と比べれば相当マシになっているとはいえ、今も街路は仄暗く独特な雰囲気が漂っていることには変わりない。歌舞伎らしい喧騒はなく、むしろひっそりとした静寂さえあった。
改めて見てみると、やはり六本木とは雰囲気がずいぶん違うことに気づかされる。歩いている人々の目つきが鋭い。夜鷹のように何かを狙う目をしている。
久しぶりに感じるこの雰囲気に少し緊張していた。黙々と店を組み立ててゆくと、不意に「よっ!」という声がかかった。
六十代程度の、くわえタバコで自転車に跨った男性。cohonの開業当初から時おり珈琲を飲みに来てくれる常連客の一人だ。いくつか抜けた歯と、ちょんと鼻先に乗せたフレームの歪んだ眼鏡が何ともこの街らしさを感じさせる。六本木ではあまり見かけないタイプの人間だ。
「しゅばらく見なかったけど、どうしゅたの」
歯が抜けているので少々滑舌が悪いのはご愛嬌だ。
かくかくしかじかの事情を説明すると、男性は急に水を得た魚のように歌舞伎の暴力団勢力図について饒舌に語り出した。とにかくこの街には『自称・暴力団に詳しい』おっさんが多いのだ。
ちなみに複数の自称・暴力団に詳しいおっさんが得意げに話をしてくれたが、いずれも組の名前が合致しなかったので、情報の精度についてはお察しされたい。
そして自称のおっさんは必ず、
「何かあったら組の幹部に俺の名前、出しとけば大丈夫だから!」
と言い残していくのだった。おっさん本人の名前は告げてくれないままに。大丈夫という言葉の信頼度もやはり、お察しである。
歌舞伎での営業を再開してから数日の間に、これまでお世話になった人々が次々に訪れてくれ、珈琲を飲んだり挨拶をしてくれたりということが続いた。
SMクラブのお兄さん、風俗店経営者、電力会社を装った詐欺師のお姉さん。まるで走馬灯のように、これまでの常連さんたちが訪れてくれた(これはいよいよ死期が近いのか? とも思った)。
そしてスタッフ! 生きていた! 何事もなかったように歩いてきて、「あ、てんちょー」などと呑気に声をかけてきたが、聞けば歌舞伎で起きた殺人事件の重要参考人として警察に連れていかれたりもしたらしい(関節技を固くキメられつつ署に連れていかれたそうである)。
もちろん彼女は犯行にはまったく関係していないのだが、とにかくエピソードの一つひとつが特濃なところがスタッフらしい。
あの援交通りに多くの人々が立ち寄り、お互いの近況を報告し合った。我ながら、奇妙な風景をつくったものだと思う。以前、とある人からこんな言葉を言われたことがあった。
「この界隈は昔から不気味な雰囲気があった。暗く汚れたこの場所で、あなたのお店の明かりはこの一角を素敵な映画のワンシーンのように変えてしまっている。あなたはこの街を変えたのです」
『歌舞伎町』という、よくも悪くも世界に知られたその街を、たとえほんの一角であろうとも私が変えたのだという。
にわかには信じられないことだった。今も自覚はない。
しかしこの場所にこだわって営業を再開しようとした理由もまた、心に残ったあの一言にあったと思う。
一杯の珈琲と絵本で歌舞伎を変えた。
自分で言うにはあまりにもおこがましく、生意気だということは重々承知している。
「なぜここで絵本屋を?」と尋ねられれば、「家が近いから」とだけ答えている。
こっぱずかしくてそれ以上は言わないが、私の内心には「この一角を、ほんの少しだけ素敵にしたいから」という矜持が籠っている。
後日談
その日は、ラグビーの日本対スコットランド戦の夜だった。両チームの熱戦に痛く感動した私は急遽日の丸とスコットランド旗を描いて店に掲げ、BGMにバグパイプの音色を大音量で流しまくっていた。
普段はジャズが大半を占める。それだけでもそれなりに異様なのだが、なにせバグパイプである。通行人からも多くの奇異の視線を向けられていた。しかしそんな冷たい視線に負けるものか。リーチ・マイケルが担った重圧に比べれば、そんなものは屁でもないのだ。
そのとき、cohonの目の前に黒塗りの高級バンが停車した。本能的に嫌な予感がした。車内にはプロレスラーの蝶野にそっくりな屈強な男たちが三名程度乗っているのがスモークガラス越しに見てとれる。そこへ金髪のチンピラ風の男が二人、駆け寄ってくる。窓ガラスが降ろされると、
「やばいっすよ、ダイキが喧嘩に巻き込まれました!!」
慌てた様子でチンピラが蝶野たちにまくし立てた。極めて緊迫した状況だが、私のせいでそのBGMはバグパイプである。
「相手は何人いたんだ」
「3〜4人っす!」
蝶野が少し考え込む。もちろん、大音量のバグパイプが鳴り響いている。
「…………乗れッ!」
チンピラたちが車内へ駆け乗ると、けたたましい排気音の残響とともに黒塗りのバンは夜闇へと消えていった。
かつてバグパイプに乗せて報告を受けたやくざがいただろうか。
それから少しして、救急車とパトカーが職安通りを騒がしく往復していた。
あの救急車にチンピラたちや蝶野たちが乗せられているかはわからない。しかし、もし包帯でぐるぐる巻きになった彼らが、
「あのとき……スルーしてたけど……バグパイプ……めっちゃ気が散ったな……」
と思っていたのではないかと想像してみた。
歌舞伎の一角を、確かに私は変えることができたのかもしれない。