前編では店主の人となりのようなものを書いてまいりました。今回は後編として、かつての松山の古本屋事情や、今回の訪問で買った本について書いていきます。以下、本文です。
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現時点で松山で一番古い古本屋はここ愛媛堂です。店売りをしている古本屋の件数も5軒です。時代を遡ると、当時はもっと古本屋があったようです。松山を代表するアーケード街、大街道。現在ここには古本屋はありません。
SerenDip明屋書店の入っているAEL MATSUYAMAの向かい、現在はパチンコ屋になっている場所(松山三越の隣)には松菊堂書店という古本屋が存在していたようです。
1963年末に閉店し、建物は売却となったようです。ちょうど愛媛堂の開店と入れ替えのような形で店を閉めることになったようです。松菊堂閉店に際しての在庫は松山の古本屋に買い取られ、愛媛堂にもある程度当時の在庫があったと、店主が話してくれました。
松菊堂はどうやら本の出版もやっていたようで、自分が買った本のシリーズである愛媛郷土双書を出していたようです。残念ながら松菊堂の閉店により、既刊数巻の発行にとどまり、完結することはありませんでした。
さて、松山で創業した明屋書店、現在は新刊書店のみとなっていますが、どうやら古書部があったようです。古書部があった、というよりも明文堂という貸本屋の後に古本屋として開業した、というのが正確な表現かもしれません。
この明屋書店古書部(と便宜的に呼称します。以下「古書部」と記載)、松山の古本屋の展開にかなり重要な役割を担っていたようです。歴代の古書部店長が独立しそれぞれ松山ブックセンター、坊っちゃん書房、古書店らいぶ、みなみ書店を創業。ここに挙げた3軒のうち、みなみ書店のみ、現在は砥部町で営業しているようです。
さて、古書部関連以外の古本屋では写楽堂、という古本屋があるようですが、こちらは2020年4月に店売りから撤退、買取専門になったようです。以前は松山市内や海外(香港)にも展開していたようですが、新古書店の進出により、多くの店を撤退せざるを得なかったのかもしれません。
それ以外にも城北ざっし、もいち堂などの古本屋もあったようですが、現在はすべて閉店。この2軒も新古書店の進出による客足の減少が原因としてあったのかもしれません。いずれにしても原因については資料上からは明確なことが言えないので、このくらいの記述にとどめておきます。
新古書店進出後、時代はネット販売へ。ネット販売が始まると古書猛牛堂、トマト書房、浮雲書店(現在は古書社日)などの新しい古本屋が登場。この3軒は現在でも営業中の古本屋です。先に挙げた3軒以外にも松山市駅近くには本の轍という本屋もあり、現在は愛媛堂含む5軒が、松山の古本屋となっています。
松山の古本屋は、1960年代以降徐々に増えていき、1985年頃に数を一気に増した後に新古書店の進出により1990年代以降に激減。その後2010年以降に新しい古本屋がオープンする、という状態となっています。都市の規模に対して古本屋がそこまで多くない、と最初に感じましたが、その背景には形態が変わるごとに起こる閉店によって数を減らしていったという事情があったようです。
今は古本屋も大変なようですが、かつては「大阪、京都、岡山、広島の古本屋が背取りに来た」こともあったようです。四国は近畿や中国地方より古書価が低かったからなのでしょうか。
愛媛堂の店主から「ここもあとどれくらいできるか……」と言われたとき、正直戸惑ってしまいました。もちろん本屋は永くあってほしいものの、「永く続けてください」と言うことができませんでした。それを言うのはある意味で押し付けなのではないか、とふと思ったからです。
さて、今回買った本は『伊予鉄が走る街 今昔―坊っちゃん列車の街・松山の路面電車 定点対比50年 』(JTBキャンプブックス)と『愛媛の市町村史』(松菊堂)の2冊。前者は松山ですしやはり伊予鉄、と思い購入。本当は社史を買う方がいいのかもしれませんが、荷物が重くなりすぎるため今回は軽めの本で。今後の撮影にも使えるかどうかはわかりませんが、ちょっと読んでみたいと思います。
そこまで量も多い本ではないので。後者は持って帰りやすい郷土資料を、と思い購入。買った後に宿に戻って出版元を少し調べてみると、Twitter上に1949年の松菊堂のカレンダーがアップロードされていました。ここから松菊堂は大街道にかつてあった古本屋ではないか、というところまで絞り込むことができました。発行年と位置から、「もしかすると店主は何か知っているのではないか?」と思い、翌日、松山を発つ前に愛媛堂へ再訪。話を聞いてみることに。
その結果、「熱意に負けた」とおっしゃっていただき、本稿や前編で使用した資料を提供いただく、という事になりました。このようなことはこれまで一度もなかったので、驚きを隠せなかったとともに、どこかに残す必要があるのではないか、と思ったため、今回のような前後編という構成にしました。
果たして本稿や前編でこの資料を十分に活かしきれているかはまだわかりません。また、この連載はある程度正確な記述を心がけてはいるもののどうしても自分の主観が入ったり、文章の取捨選択を行っています。ですがこれが松山の古本屋に関する調査が進む一助になれば、と切に願うばかりです(何かあるならお手伝いしたいものですが、果たして役に立つかどうかはわかりません)。
自分が把握している古本屋が「地域として」文献として残っている場所は、札幌、東京、神奈川、大阪、福岡です。ここに記載した都市については組合史や記念誌によってある程度の区切りで歴史を振り返るものが出版されています。
それ以外の都市については、自分が知る範囲ではそのような書物が出版されることなく、長年営業している方からの話でしか出てくることがありません。時間が経てばその記憶も薄れていき、「そこに本屋があった」なんて知ってる人がいなくなるでしょう。
この連載が、各地にある本屋についての記憶を引き出す一つにヒントになってくれれば、と願いつつ、本稿を締めます。