2020年夏に福岡は六本松に開店した本屋「BOOKSHOP 本と羊 & FARMFIRM DESIGN」。店主の神田裕さんに本屋になるこれまでといまとこれからを語ってもらう連載「本と羊をめぐる冒険~本と羊が出来るまでとこれから。~」。
第二回の今回はデザイナーから本屋になるために動き出した、そのきっかけとなったある思いとそうして動き出したときのお話です。
苦悩の2年間。そして勇気と期待と不安が交錯する日々が始まる。
「俺は一体何者なんだろうか。」
退社する2年前ぐらいからもやもとした思いがずっと頭から離れない。悩んでは苦しくなり、仕事の合間に芝浦の運河沿いや埠頭をさまよう事が多くなっていた。誰のためにデザインの仕事をしているのか。
もちろんクライアントが喜んでもらえるものを納品出来ればそれでいいのかもしれない。でもその先の誰が、自分の作ったポスターやチラシを見ているのか。それでどれだけの人が反応し購買意欲を刺激され商品を買う動機となっているのか。僕はある化粧品メーカーの有名CMディレクターで自殺した男性の遺書がいつも脳裏に浮かぶ。
「リッチでないのにリッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません。
「夢」がないのに「夢」をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです。」
僕もいつも担当したものは好きにならないと広告物は作れないと考えていたが、どうしてもこの言葉が頭から離れない。僕はいいと思ってもいない商品を誰に向けて宣伝しているのか。ウソをついている気分がしたまま十数年も仕事をしていた。良心の呵責に耐えかねていた。誰と向き合っているのか。クリエイターとしての夢も見失っていた。もう限界だった。見える誰かを喜ばしたい、接したい。「ある決意」とは「自分に正直に生きること」だった。そのために何をするべきか。デザイナーとは違う自分になりたかった。人生は一度。60歳で帰る目標はいつしか一刻も早く九州に戻り、第二の人生を歩む事にシフトしていった。
デザイナーしか経験のない僕に何が出来るかを2年間考えていた。今さら戻ってデザインの営業をするにはツテもコネもない。飲食店で修業? ありえない。そもそも腰が悪くてなかなか立ち仕事もつらい。再就職? いや違う。さまざまな仕事を考える。ある日、ふと部屋の壁一面の本棚を見つめる。そうか本が好きだよな……。
毎日会社帰りに、孤独な気持ちを埋めてくれる答えを見つけに本屋へ通っていた。部屋の本棚には夫婦で買った本があふれ、納戸にも入りきれない大量の本が眠っていた。
……そうか。本棚を眺めているうちに新しい道を決めていた。「本屋になろう」。誰も傷付ける事もなく、お客さんに直接買ってもらい喜んでもらえる商売。いろんな話も出来るし、交流も生まれる。単純な理由だ。すぐに妻に話す。拒否する訳はない。「やると言ったらやるんでしょ。」大して時間もかからずに次の道へ進む交渉は済んだ。
話をまとめる。会社に退社の意思を伝え、3ヶ月後に退社。2019年10月に完全にフリーとなった僕は九州福岡で本屋をやるために活動を開始する。それでもしばらくの間はなかなか積極的に行動に移せずぼんやりとした日々も続いた。
そんな中で二つの本屋さんの本を読んだ。福岡市内のブックスキューブリックの大井実さんと東京の荻窪Titleの辻山良雄さんの著書だ。お手本のような本。今となっては神様のような二人。本屋になる人は必ず? とは言わないが読まれているバイブル。簡単に言って「勇気と期待と不安」をいただいた。
バタバタと書き進める。
2019年2月。東京の下北沢にあるBOOKSHOP TRAVELLERでの本のイベントに関するトークイベントに参加。初めて店長の和氣正幸さんと対面。この後、何度もお世話になる大事な人だ。この頃「本と羊」という屋号を決めた。妻の直感である。本も二人の大好きな羊も「癒される」ものとして共通しているとの理由である。反論の余地もなかった。
2019年4月〜8月。東京の月島にある友人の撮影スタジオで土日だけの小さな古本屋、のようなものを試験的に営業。本屋でのバイトをしていないとダメだとある本に書いてあったがそんな常識は古いと実証したかった。
晴海にある自宅から台車にワイン木箱二つ分の本を載せて運び、撮影のない週末は機材が片付けられ、スケルトン状態になるスタジオのテーブルに本を並べて、道路に面した大きな全面ガラス張りの店頭に本をディスプレイしていく。屋号として決めた「本と羊」のロゴの入った店頭ポスターやSNSで募集した「街と本」というテーマで全国から寄せられた40点あまりのエッセイに写真を付けてプリントしたものを店内に展示した。
もちろん本屋でもないこの素人試験本屋に人が来るのか不安だったが、友人やSNSで知った方々が毎回訪れるようになった。地元の方々も当初は何をやっているのか良くわからないような訝しげな視線をこちらに送りつつも少しであるが入るようになっていった。接客の感覚や初めて本が売れていくという実感。テーマを決めての選書など、僕らにはいい経験になった四ヶ月。さまざまな事や出会いや友人も出来たがここで語るには文字数が足りない(笑)。
その間、5月の連休中に福岡県内を車で周り、本屋候補地を駆け足で視察した。結果、福岡市内での本屋開業を決めた。いよいよ9月に市内にしばらく滞在して実際に本屋さんを巡りながら、場所を探すことになるのだが……(続)