コロナ禍は実際問題過ぎ去ってはいないものの緊急事態宣言が終了するとともに少しずつ街が平常運転に戻りつつあることに、「これでいいのか?」という気持ちと「やっと店が開けられる」という気持ちの板挟みでぎゅーっとなっている和氣ですこんにちは。
さて、昨年12月にて好評の中、いったん連載終了となった「真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜」ですが、cohonさんの要望もあり(というか僕ももっと読みたい)season2として復活することとなりました。
第一回目はまさにコロナ禍真っただ中の歌舞伎町の様子がメインとなっています。
真夜中の歌舞伎町で起きた実録本屋レポ。「真真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 season2 (1)」スタートです。
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (1)
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (2)「スタッフが店に居座って帰らない」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (3)「さらば cohon、永遠に…」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (4)「生きる。」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (5)「cohonは歌舞伎町を変えるか」
- 真夜中の本屋さん 〜日本で最も危険な絵本屋、cohonの日常〜 (6)「東京の夜空の下」
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第一話「歌舞伎町が静止する日 -The Day the Kabuki-cho Stood Still- 」
旧コマ劇跡に建つ巨大なシネコン。それは歌舞伎町が安全でクリーンな娯楽の街として生まれ変わることの宣言であり、そのシンボルとして建てられたものだ。周辺では現在も盛んに再開発が行われ、名だたるゼネコンや大企業の資本が惜しみなく注入されている。
その成果は目に見える形で求めるとすれば、そのひとつに没個性的な大手チェーン店が雑居ビルの看板を埋めるようになったことが挙げられる。日本中のどこでも受けられる画一的な価格とサービスを、歌舞伎でも同じように受けることができるようになった。
一方、この街を東西南北へ十字に分割する区役所通りと花園通り。その交差点に建つ風林会館(フーリン)は、変わらない歓楽街としての歌舞伎を今も象徴的に表す遊興施設といえるだろう。
薬局や美容室、ビリヤード場にカラオケ、さらにはホストクラブやキャバクラまでもが一つの建築物内に収まる。遊興に限ればラウンド・ワンのような施設にも少し似るが、風俗の無料案内所までセットになっているのは風林くらいのものだろう。
周辺にはスーツやハッピを着た客引きの男性たちが溢れているのが常だ。通行人の些細な動きにも鷹のように鋭く目を光らせ、隙あらば声をかけてくる。
「お兄さん、ちくび、今お探しで?」
ちくび探してないよ。自宅が風林の目の前なんだ、私は。
しばらくこの街を観察していると、彼らにも様々な縄張りがあることがわかってくる。あの一帯にはアフリカ人のグループ、この一角は中国人、こちらには日本人といったように。東(あずま)通りの客引きは全体的にしつこく強引、さくら通りの個室ビデオ店の勧誘はやる気がなさすぎて逆に肩透かしを喰らう。一瞬で折れる。
彼らにもいろいろな特徴があるものだ。
普段はそんな面倒な客引きも、しかし今この状況では一種の懐かしささえ感じるような気持ちになっていた。通常であれば、平日や週末に関係なく風林の周辺だけで十人以上の客引きたちがひしめいているはずだ。それが、今は広範囲にわずか数人だけ。通行人の姿もほぼ皆無といっていい。
いつもは悪質な客引きについていかないよう警告を促すアナウンスが街頭スピーカーから流れているが、ここ最近はほとんど聞かなくなった。街は不気味なほどの静寂に包まれていた。
「客なんかいないっすよ。もうタバコ買う金すら尽きましたもん」
「金ないのにひますぎてタバコの量むしろ増えたわ」
この深刻な状況とは対象的に、手持ち無沙汰の客引きたちは軽口を叩いて笑っている。
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喧騒にまみれたこの街に、人影が途絶えて久しい。ゴールデン街の明かりが消え、老舗喫茶店が休業し、多くのキャバクラやホスクラまでもが営業を見合わせた。もちろん少数とはいえ客引きが立っている以上、ウラでこっそりと続けている店もいくつかあることを示唆しているのだが……。
弊店にやくざ対策を教えてくれたケバブ屋のクルド系トルコ人もしばらく見かけない。飯田橋駅前で靴下の路上販売をしているという全身アルマーニ姿のパキスタン人も「春以降の売れ行きは絶望的だ」とずっと嘆いていたが、いつの間にかどこかへ消えてしまった。
かつてなく閑散とした歌舞伎で、元気なのはふくふくと育ったネズミたちだけだ。歌舞伎のミッ○ーマウスと冗談混じりに呼んでいたが、まるで街の主役が人間から彼らに置き変わったかのようにわがもの顔で蠢くのを見ると、さすがに背中にうすら寒いものを感じる。
一方、満員御礼の店もあるという。
正規のパチンコ店が休業した結果、今は闇スロットに一部の人間が流れ、ずいぶん儲けているという話だ。路上に立っていると、一介の絵本屋にも自然とそういう類いの事情が流れてくるのだ。
「メダル1枚で500円。4000枚出たら200万の稼ぎっすわ!」
とは、当店近くにいつもたむろするチンピラの言である。台の特徴なども嬉々として教えてくれたが、残念ながらギャンブルに縁のない私には呪文のような言葉としか思えず、頭に残らなかった。グレーな遊興を規制するとブラックな賭博が栄える。なんとも考えさせられる世の理というか、世も末というべきか……。
ちなみにスタッフ(第2話参照)は過去に闇スロで120万負け、それから80万を取り返したと自慢していたことがある。そんなことを話ついでに伝えると、
「それはたぶん金額的に1枚100円レートの闇スロですね」
と即答された。様々な業種ごとに自分のまったく知らない知見があるものだと、ついつい感心してしまう。
さて、cohonは4月17日の営業を最後に、開業以来二度目の休業を決めた。ちなみに一度目は昨年の8月、やくざに怒られたときに人知れず行った、一か月間の営業自粛である。この記事を書いている時点(5月)ではまだ都内は全日休業している店舗も多く、再開した店も少なからず制限をかけて営業しているところがほとんどだ。
歌舞伎では5月7日を境に営業を再開したキャバクラ・ホスクラが多く、弊店もそれに倣って同日から不定期に営業を再開することとした。とにかく換気だけはどこにも負けない自信があるからだ。
イートインのために「偶然ここに設置されていたスチール製の白いベンチシート」と頑なに主張していた設備は国土交通省が管理する「ガードレール(法的には車両用防護柵)」という正しい名称に戻ることとなった。
換気はその日の気圧配置に基づいて間断なく強制的に行われ、3密を回避するとともにテイクアウトのみに限定する。これらの配慮は都知事の感染防止のための勧告を厳密に守った営業であると自負するものである。
まぁ、何はともあれ5月7日以降、歌舞伎の人通りはずいぶん戻った印象がある。
もちろんそれは感染制御の観点からすれば批判されるべき光景かもしれないが、あのゴーストタウンのように静まり返ってしまった一時期を思えば、個人的には何とも複雑な感情というしかない。
歌舞伎には経済的に何らかの事情を抱えていたり、収入基盤が脆弱な者も少なくない。日に日に営業再開と人出が増えてゆく歌舞伎を見ると、安堵する気持ちの方が大きいというのが私の率直なところだ。
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さて営業再開の前日、6日の深夜に私は消耗品の買い出しのために近くを歩いていた。何かが車道に落ちている。そう思って近寄ってみると、男性がなかなかの量の血を流して倒れていることに気づいた。
私が通りかかったときはちょうど緊急車両が到着するタイミングで、周囲には近づくサイレンとまばらに集まった野次馬とで騒然としていた。
「これやばくね?」
「血!」
「知り合い?」
みな口々に何かを言っているが、誰も助けようとはしないのがこの街らしい。男性はぴくりとも動かなかった。自粛期間中の深夜にこれほどの泥酔をするものだろうか?
何らかの事件に巻き込まれたのではないかという物々しい雰囲気が周辺に漂っていた。救急車だけでなく、消防車まで来ていたことも緊迫感に拍車をかける。救急隊員がストレッチャーとともに駆け寄り、意識の有無や外傷の状況などを手早く確認する。
そして一言、
「酒くさいです」
「酒」
「起きられますか? おーい。起きろー」
野次馬が一気に解散した。
よくよく見れば飲み屋の集合ビルの入り口から血が点々と垂れている。そして縁石につまずいて車道に倒れ、血を流しながら熟睡したようだ。男は上半身を起こされ、頬をぺちぺち叩かれている。雑居ビルから仲間らしき男性が顔をのぞかせ、平謝りを始めた。私としてはこの流血沙汰を最後に、歌舞伎の本格的な自粛が終わったという残念な印象になってしまった。
営業を再開しようというのに、なんだか縁起が悪い気がする。そしてこの予感は現実のものとなるのだった。
次回、「血と銃」