【書評】『時砂の王』

まず、はじめに述べておこう。これから書くことは戯言であって、本書は以下に書くことなど考えずとも楽しめる一級のエンタメSFである。敵との戦い、ラブストーリー、優れた舞台設定。素晴らしい物語だ。

だから、これから書くことは本書を楽しむ上でのデザートであり飾りでありオマケである。
もしかしたら読まなくても良いかもしれない。
それでも書くのはただ思いついたことを書きたいからだ。残しておきたいからだ。

では、はじめよう。

タイムトラベルものには常にパラドックスがつきまとう。
そもそもの話、タイムトラベルでその作品で起こる問題が解決するのならば、タイムトラベルをする必要がなくなるのだ。

もう少し分かりやすく言おう。

例えば、Aという出来事が起きたとする。主人公にとってAは起こって欲しくないことだからBという解決策を行いAが起きないようにする。この場合のBはタイムトラベルだ。つまり、Aが発生したからBが発生した。しかしこのとき、BによってAという出来事を「なかったこと」にするのだから、Bはそもそも発生できなくなってしまう。

これがタイムパラドックスである。

本書『時砂の王』は時間枝という考え方を用いて、これを巧みに避ける。いや避けるどころかこの時間枝という考え方が本書の設定の中心となっていると言っていい。

何しろ物語の発端も終末も時間枝(という考え方)の上に立っているからだ。

もう一つ。本書を彩るアイデアに「知性体」というものがある。人間が生み出した人間以上の能力を持った生物のことで本書の主人公でもある。それらが人類の敵であるETと戦う。
知性体(と人間)とETが存亡を賭けて戦うのが本書の大筋である。

ところで、お気づきだろうか。人類にとっては知性体もETも同様に「自分とは違うもの」なのである。同じ人間ではない他者なのだ。

そう考えると知性体が人類の敵であってもおかしくは無いが、本書ではETという明確な敵がおり、それを打ち倒す話であるため「知性体が人類に対して反乱する」といった描写はひとつもない。

だが、知性体もETも他者である。どんなキッカケで敵になるかは分からない。人間同士であってもそれは変わらない。

本書の主人公は知性体だ。

知性体の側からの話をメインに、ヒロインの彌与が人間側からの視点で語っていく。

まったくロジックの違うはずの相手。でも、心を通じ合わすことができる相手。私たちの共感能力はどこまでの生物になら適用されるのだろう(少なくとも本書ではETに共感することはない)。

そんなことを思った。

最後に、最初に書いた通り、まあ小難しいことは良いからとにかく読んで欲しいとだけ記しておこう。