オリンピックエンブレム盗用疑惑問題を見聞きしてデザイン素人だけど考えてみた

いろいろと見聞きしていて、奥さんとも喧嘩するわでイラッと来たので吐き出しておく。なお、これはあくまでも個人の見解なので、違うという方も多くいるということは承知のうえで書いている。こんなことより本屋についてもっと書けというのは……すいません。今回はご容赦ください。。

佐野氏は白だと思う

何やらいろんな方々が書かれているので、詳しい検証とかは置いておくとして、まずぼくは彼はオリンピックエンブレムについては白だと思っている(上記の記事がロジック、ユーモアとか含めて納得したのでリンクを貼っておくけど、これ以外にもたくさん見ている。一応念のため)。

その上で、ネットを含めた社会とのコミュニケーションの面がお粗末だったよねってことはある。もっとやりようあったよなあ。まあサントリーのトートバッグの件は完全にタイミングが悪かったので同情するけど(あれはマネジメントの問題であってクリエイティブの問題ではない)。あってはいけないことだけど、やってしまったことは仕方ないのだし謝ったり賠償したり取り下げたりするしか無い。

エンブレム取り下げは間違いだと思う

でも、IOCが佐野氏のエンブレムを取り下げたのは、間違いだと思う。そりゃ、国民的祭典で、事実はとにかく(←ココ重要!)、評判もイメージも最低と言って良いほどに悪くなってしまった人物の成果物を使えるかどうか? という問いに対して現状の流れを見たらNOと言わざるをえないだろう。当たりまえだ。そんなリスキーな選択ができるわけがない。

一方、ぼくはそれが間違いだと思う。そもそも何かを評価するときには原則、成果物そのものへの評価をするべきだと思うからだ。あくまで原則である。基本的な立場としてそうだということである。当然、ここには成果物ができるまでの文脈は含まれる。
ここでなぜ「原則」と書いたかというと、評価するのも選ぶほうも人間なのである。人間である以上、ほかのひとがどう思っているかを気にしてしまうというのは理解できる。そういうことだから、選ぶまでの間に人物評価が成果物の評価に影響をあたえるのは(一定程度までは)理解できる。にんげんだもの。

現状判断としては理解できるが……

でも、でも、である。

一度選んだものに対して、一度「これでいこう」と評価したものに対して、周囲から「あれはパクリだ(これは嘘)」「彼はほかのところでパクリをやっているぞ(これは本当)」「ほかにもたくさんやっているぞ(これは嘘)」と言われたからと言って、評価を覆すのは、納得出来ない。なぜなら、IOCはオリンピックという大舞台のエンブレムを決めるというお仕事をするわけだからそれなりの批判は覚悟の上だったはずだからである(それに受け答えできるように事前審査には万全を期したはずだ)。

IOCもはじめは庇っていたがそのうち収集がつかなくなったと感じたのか一点「取り下げ」になった。

これに対して、「IOCも責任重大だから仕方ないんだよ。納得出来ないけど」という感覚は理解できるけど、「当たり前でしょ」と思う感覚は理解できない。それはそもそもの原則や思想がない現状判断か感情の追認にすぎないからである。

そもそもの論点ってなんだっけ

今回の一件の論点は、そもそも「オリンピックエンブレムがパクリであるかどうか」の一点のみである。これについては佐野氏は完全に白だと思う。展開例云々が後出しとかなんとか言っている方々がいらっしゃるが、そこは情況証拠でしかない。これは外野が取材もせずに何を言っても仕方がないところだ。そして、実際、取材や成果物のロジックをほかのサイトの検証から考えるにパクリではないとぼくは考える。そこが証明できないからといって「前例がある」とか「ほかにも怪しいのがたくさんあるぞ」とかそういった評判・イメージのみで強引に取下げになってしまったのは残念で仕方ない。

これでは「前科者は信用できない」とか「あいつはどこそこの生まれだから……」とかと同じである。ムラ社会的というか差別的であるというか。ぼくのもっとも嫌うところである。

とはいえ、その点、佐野氏陣営の広報戦略は明らかにミスっていた。自分たちより大きいムラ社会に対して、小さい方のムラ社会が「いやこれがわしらのやり方なんで……」とか言っても通じないのである。「あんたらオカシイだろ」でオシマイである。

失敗の本質

ここで、IOCというさらに上位の判断組織が、きちんとしたロジックに基づいてネットの検証記事に対する反応を丁寧に行い、よって「取り下げる(ない)」という判断をしてくれればよかったのだけれども、今回の一件は完全に評判・イメージが取り下げの根拠になってしまっているように見える。空気に敗北したようにぼくには見える。しかも、その敗北の責任を誰も取らない。誰に責任があるのかわからない。

これってさあ、『失敗の本質』で読んだ、日本軍と同じ構造ですよねえ。

これを変えるのは現状判断ではなくて、原則論や思想だと思うんだけれども、それでは支持は得られないんだよなあ。そうではない評判とかイメージの良さを得たほうが支持を得る。そんでもって原則論や思想とか言うけどそういうのって比較的長いロジックが必要だからイメージには成り得ないんだよなあ。ネットは結局、当初の理想はどこへやら評判・イメージの増幅装置になってしまった。

結果として、取り下げになってしまったのは仕方ないが、それを当然だと言っている方はどんなお考えなのでしょうか。「オリンピックエンブレムがこうこうこういう理由でパクリだ」というロジックがあれば良いのですが。「見た目が似ているから」はデザイン側の反論に対して答えになっていないのでダメですよ。