長野駅から歩いて約20分。信州大学教育部の向かいに今回訪れた新井大正堂書店はあります。
普段なら長野駅から歩いていくはずでした。ですがこの時は収蔵されているヤマトヤに関する資料の複写のため県立長野図書館に行っていました。その前は姨捨で撮影からの篠ノ井(書店すくじに御書印)だったのでかなり予定がギリギリ。そのため県立長野図書館から善光寺大門近くまで、タクシー移動でした。本連載始まって初の縛り破りでした……基本的には公共交通機関と徒歩もしくは自転車移動です。ちなみに県立長野図書館から新井大正堂までは徒歩約35分とのことです。時間の余裕があればおそらく歩いていました。
信大教育部前なので善光寺からも非常に近いところにあります。店には昔からありそうな蔵が。その隣が店舗ですがこの時は「買取のため13時開店」の紙が貼られていました。ちょうど1時間半ほど予定が空いたので善光寺詣りと昼食を摂ってからリベンジとなりました。
店について
店に入るとかなりきれいな店内に通路が3本。手前側が新刊(に近いコンディションの本たち)、中央が郷土関連、奥は美術系など。かなり状態のいい郷土本が多く置いてありました。『長野書店商業組合八十五年のあゆみ』(以降『八十五年史』)を確認したところ、
「現在は新刊書籍雑誌部、教科書部、古書部、製本部の四部門です。(中略)郷土誌から、文庫、コミックスまで販売しております。」
とあるように、新刊と古書を一緒に販売している形態だということがわかりました。棚を物色し、いくらか本を見つけて会計。そのタイミングで店の方に話を伺うことができました。
聞けば名前の通り大正時代の創業。信大教育学部が長野師範学校だった頃からこの店はありました(これは以前松本の秋櫻舎で伺っていました)。今の店主で3代目となるようです。店主曰く「大正元年の創業」とのこと。これは『八十五年史』にも書かれており、間違いなさそうです。店に掲げられているものは中村蘭台のもの。店主曰く「横山大観の篆刻を依頼された人」とのことなので、これは二世中村蘭台のものです。店舗自体は2000年に改築し、市の景観賞を受賞したとのこと。移築した蔵と池は昔からのものと教えていただきました。古い店の外観は、『八十五年史』に載っていました。
新井大正堂は出版もやっていたそうで、初代店主新井義雄は小林一茶や川中島関係の資料を出版していたとのこと。こちらも『八十五年史』に
「初代の頃は『小林一茶』『川中島の戦』等郷土関係書の出版販売もしていました」
とありました。店にあった『一茶遺墨鑑』を見せていただきました。たしかに奥付に「新井義雄」、「新井大正堂」の文字を見て、たしかに新井大正堂が郷土資料の出版販売をしていることが確認できました。これ以外にもいくつもの本を出版していることが、自宅に帰って国会図書館サーチを使い確認できました。
他にも様々なお話をしていただきましたが、かなり印象的だったのは買取時期の話。長野ではよく秋に買取の話が来るとのこと。これについては「暑い夏が終わって冬になる前に整理する」ということを理由として挙げていました。また、一時期の古書について、かつて売った古書価では買取ができないくらい、値段が高騰していた時期があったようです。これはバブル期の頃の話のようで、今ではとても考えられません。今でも東京の市に出品しているようで、東京ともかなり関係があるようでした。
退店前には、最近は古美術も見ているとのお話を伺いました。「東山魁夷が川端康成に見出されたように、本と絵という組み合わせは可能性を秘めている」とおっしゃっていました。とても物腰が柔らかく、様々なお話を伺うことができ、非常に有り難い限りでした。
資料から見る新井大正堂
さてこの新井大正堂、『長野書店商業組合八十五年のあゆみ』(以降『八十五年史』)では「大正元年創業」とあります。書店の創業年をきちんと遡るのは至難の業ではありますが、資料などから可能な限り遡ってみたいと思います。
まず、次世代デジタルライブラリーにて検索をかけ、ヒットした『長野県下普通電話番号簿』を見てみます。この資料は大正13年に発行された長野県内の電話帳です。長野市の書籍関連では長野西澤書店、朝陽館、金華堂などが載っています。その中に「大正堂 新井義雄」の記述を確認できました。この段階で、大正13年までは遡ることができました。大正13年に新井大正堂が存在することは、『全国書籍商組合員名簿 大正13年1月現在』でも確認できています。
次に、仏都新報社から発行された『善光寺案内記』を確認してみます。この本には新井大正堂について記述はないのですが、広告が載っていました。『善光寺案内記』の発刊は大正7(1918)年。『長野県下普通電話番号簿』から6年遡ることができました。
最後に、『八十五年史』の付録についている『信濃書籍雑誌商組合30年史』を確認してみます。この資料には組合員名簿が載っているため、新井大正堂がどこに載っているか確認できます。見てみると、「組合設立後加盟者調」の「大正三年」の項目に「長野市西長野町 新井義雄」の記述を確認しました。
『善光寺案内記』から更に4年遡りができました。手持ちの資料や次世代デジタルライブラリーだとこれ以上遡ることはできなさそうなので、現時点では、資料上で大正3(1914)年まで遡ることができました。
また、今度は国会図書館デジタルコレクションにて「新井大正堂」をキーワードに全文検索を行ってみました。1952年に発刊された『信濃産業大観』(信濃毎日新聞)という資料に掲載が確認されており、以下のような記述がされていました。
「沿革 大正元年個人開店、昭和23年4月法人組織に変更」。
同時代的な資料では見つかりませんでしたが、見つけた資料ではたしかに「大正元年」の記述を確認できました。本当に大正元年まで遡れる資料があるかもしれないので、継続して探してみようかと思います。
買った本
今回買った本は『長野県の湖沼』(新井大正堂)と『諏訪郡誌』(上原書店)。前者はここの出版物だったため購入。後者については「上原書店」というのが購入の決め手でした。
この上原書店、創設者の上原才一郎はもともと松本の高美書店で働いており(『信州の本屋と出版』(高美書店)によるとどうやら当時の日記が高美書店に残っているらしい)、高美が東京に出てしばらくして退店。上原書店を立ち上げた方です。上原書店は後に光風館と屋号を改め、出版事業を行なっていました。上原は東京書籍商組合の組長、後に全国書籍業聯合会の副会長(『全国書籍業聯合会史』にて確認)となっています。
『出版人名鑑』によると、光風館と改めたのが明治27年、今回買った『諏訪郡誌』は明治34年、上原書店からの発行となっています。上原書店と光風館の屋号の使い分けがどのようなものだったのか、気になるところです。