名古屋駅から中央線か地下鉄で千種へ。そこから東へ少し歩いたところに今回訪れたちくさ正文館はあります。おそらく「名古屋で人文書が揃っているのはここ」というくらい知名度のある本屋です。
ここは8年くらい前に岐阜の本屋巡りをした帰り(当時は今のように「文章に残そう」という気概はなく、ただ単に「あちこちの本屋を巡ろう」くらいのモチベーションだった)に伺ったことがあるので今回が二度目となります。初めて訪れた際はやはり人文書の充実ぶりに驚いたことは今でも覚えています。この時は鈴木創編著の『なごや古本屋案内』(風媒社)を買ったはずです。なお蔵書処分に紛れ込んでしまったのか、今回の名古屋遠征時には所持しておらず、ここを訪れる前日にこもれびという古本屋で買い直しをしました。
千種駅からの通り沿いには2箇所の出入口があり、右側から入る。入った側は人文書コーナー。個人的には「ちくさ正文館と言ったらこれ」と改めて思う棚でした。左側の入口から入った場合は文庫や新書、料理本。奥に進むと赤本などが置いてありました。
右側の人文棚、哲学や思想系の本がわりと多めなのですが、本屋本なども置いてありました。これは前回伺った際には分からなかった(気づかなかった、もしくは本屋本自体が増えてきたので場所を作った)ものでした。
今回は店の方とお話することはできなかった(結構な数の人が本を見て買うので、さすがにお話するとなると業務に支障をきたすだろうと判断)ものの、多くの本をじっくり見ることができ、眼福でした。
店は今ある場所以外にも千種駅前にもあったようですが、2020年を以て閉店となっていました。千種駅前店も一度訪れるべきだったと今更ながら後悔しています。
さて、ちくさ正文館といえば古田一晴『名古屋とちくさ正文館』(論創社)が出版されています。自分もここを知ったのはこの本がきっかけです。改めて読み返してみると、ちくさ正文館書店だけでなく、名古屋地区の新刊書店における書店人脈が書かれています。また、当時の取次事情も書かれており、今では貴重な資料です。
古田(前掲書)によれば当時は日販が圧倒的に強かったそう。名古屋の取次というと、戦前には星野書店も取次をやっていました。これがどうなったのか気になるところだったので、手元にある莊司徳太郎『私家版・日配史』(出版ニュース社)を読んでみると、名古屋支店の支店長に星野孝一という人物が載っていたので、おそらく星野書店の取次部門は日配に統合されたのが推測できます。
少し脱線したので元に戻します。ちくさ正文館で個人的に気になることというと、開店と名前の「正文館」の部分。果たして正文館から独立したのか、少し気になっていました。
まず開店の話。e-honのページを確認すると、「ちくさ本店は、昭和36年創業以来、(中略)ご利用いただいております。」とあります。その他「本屋さんTRIP」内の「名古屋市内のおススメの本屋さん ~ちくさ正文館書店」という記事には「ちくさ正文館書店は創業1961年の名古屋の老舗書店です。」とあり、これらの記述を信じると1961年創業であることがわかります。
この「創業1961年」の根拠は一体何なのか?少しばかり気になったので株式会社ちくさ正文館の履歴事項全部証明書を請求してみました。履歴事項全部証明書の「会社成立の年月日には」「昭和36年4月27日」と書かれており、おそらくこれが根拠なのではないかと推測しています。しかしながら毎日新聞の「街の本屋さん ちくさ正文館本店(名古屋市千種区)」には「ちくさ正文館本店は1961年12月の開店。」と書かれており、法人成立時期とはズレているようです。この辺は誤差と考えれば、たしかに1961年の創業と言える、と思います。
次に店名に入っている正文堂の名前について。まず、吉田(前掲書)に「今の社長の親父さん(谷口暢宏・現相談役)」という記述を確認し、谷口という名字の方が役職者にいることを確認しました。念のため『全国書籍商総覧』(新聞之新聞社)の愛知県の項を確認すると、谷口正太郎なる人物がいることを確認しました。
この谷口正太郎、大阪の盛文館で修行した後、名古屋で正文館を創業する人物です。まずここで谷口暢宏氏は谷口正太郎の親類ではないかと推測を立てましたが、まだ名字が同じだけなので確定ではない。本来ならば紳士録を確認していくのが定石ではありますが、今回は「谷口正太郎」を国会図書館サーチで検索してみました。すると谷口光正という人物が書いた『谷口正太郎の春秋』(正文館)という書籍があることを見つけました。幸いなことに各地の公共図書館へ寄贈されているようなので、借りて読んでみることにしました。
谷口(前掲書)、谷口正太郎が亡くなり、七周忌のタイミングで出た本のようです。これは饅頭本、と言っていいかやや迷いますが、とりあえず饅頭本にカウントしておきます。さて、まえがきにて谷口光正が「現在では、東片端および千種の店をはじめ数カ所に営業所を持つことができるようになり(後略)」と書かれており、ちくさ正文館は当初、正文館書店の千種支店からスタートしたものだとわかります。ちなみにここで書かれている東片端の店は、2023年6月末に閉店する正文館書店本店のことです。
さらに読み進めると、「昭和二十九年、千種の現在地に支店を開設しました。」という記述を確認しました。また、「伊勢湾台風で甚大な損傷を受けた千種支店を昭和三十五年に四階建てに(中略)改築して今後の事業に備えることにしました」とあり、ちくさ正文館として出発する前年に改築されていることがわかります。
千種への出店について「名古屋市の東部の、はずれにあり、地理的条件から見ても多少の不安もありましたが、この計画は結果から見て適宜のものであったと思っております」とありますが、中央線、市電(現在廃止)、後に地下鉄と交通の要であるところに出店したのは確かに「適宜のものであった」のかもしれません。
改築当時の写真を見ると、写真に写っているのは現在ある右側の店舗(人文系の棚があるところ)で、左側の店舗の位置には違う建物がありました。おそらく後にどこかのタイミングで増築されたものだと思います。ここはあくまでも通りの向かいから撮られた過去の写真を見ただけなので、根拠としては薄いものであります。
最後に、谷口暢宏氏は何者なのか確認してみると、あとがきに「三男 谷口暢宏」と書かれており、正文館創業者谷口正太郎の息子であることがわかりました。『全国書籍商総覧』の谷口正太郎には「二男三女あり」とありました。きっと1935年以降の生まれなのでしょう。これ以外にも念のため手元にある稲岡勝監修の『出版文化人物事典─江戸から近現代・出版人1600人』(日外アソシエーツ)の「谷口正太郎」を確認したところ、「家族等」の項目には「長男=谷口光正(正文館社長),二男=谷口隆(教育出版社長)」のみの記載を確認しました。
なお余談ですが、谷口光正については「全国書店新聞 平成16年10月1日号」に、9月26日付で正文館書店の取締役相談役に就任したことが確認できました。
つまるところ、ちくさ正文館は最初は正文館書店の千種支店として開店し、その後独立したと考えられます。そのため、「創業1961年」となっているのでしょう。
正文館の支店として創業後独立した店は千種以外にも岡崎にあるようで、こちらも訪れてみたいものです。岡崎正文館は検索してみるとレファレンス協同データベースに記事があったので、行く前にはレファレンス記事と『全国書籍商総覧』は確認したいところです。
今回買った本は、橋本倫史『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)と東海遊里史研究会『東海遊里史研究会2』(土星舎)の2冊。前者は棚を物色している時に、京都遠征中に拙著『本屋の周辺Ⅰ』を仕入れていただいた浄土寺のホホホ座にて店主の山下賢二氏に「雰囲気が『ドライブイン探訪』に似ている」と言われたことを思い出して購入。解説が倉敷にある蟲文庫の店主なので、早めに読み始めたいところです。『東京の古本屋』(本の雑誌社)は読んでいましたが、改めてこちらも読んでみたいところ。
後者はいつの間にか手に取っていました。本屋の話とは直接関係ないですが、「どのようにして街の記憶を留めるのか」ということに興味があったためなのでしょう。よくよく考えると前者も「そこにある記憶を残す」本なのかもしれません。前者について、本稿執筆中にパラパラとめくってみた時、解説にあった文章が印象に残ったので、以下に引用します。
「僕にできることは、消えゆくものを惜しむことでも、終わってしまったものを愛でることでもなく、声を拾うことだと思っています」
もしかすると、ここは自分の連載等と重なるところなのかもしれません。じっくり読まねば。