長野駅から続く1本の道。終着点は善光寺。「牛に引かれて善光寺参り」と先人は言うものの、今回自分の目的地は善光寺ではありません(翌日善光寺参りをした)。道の途中に今回伺った書肆朝陽館があります。
蔵のような外観。いかにも昔からありそうな店舗ですが、明治の始め頃から営業している、長野市で2番目に長く営業している本屋です(市内で一番長いのは、善光寺門前にある長野西澤書店)。2019年の10月に訪問して以来2度目となりますが、前回訪問時は「朝陽館荻原書店」、今回は「書肆朝陽館」です。ここ、2019年12月に一度閉店し、2021年12月10日に「書肆朝陽館」として再オープンしました。
さて、店内に入る。手前は座れる喫茶スペース。その左では束見本のフェアをやっていました。奥に本棚。赤坂の双子のライオン堂が出張していました。そしてその奥にはどこかで見たことがあるような装備。この時、冒険研究所書店の荻田泰永氏が出した『PIHOTEK(ピヒュッティ)北極を風と歩く』のフェアが組まれていました。
本を多少物色するタイミングで店の方から声をかけられる。いつも通り、各地の本屋を回っており、今回は長野市の本屋を見に来たこと、ここの昔の代の店主が「信濃書籍雑誌商30年史」に載っていることを話します。
するとかなり気になるような反応を示されていたので、「資料はホテルにあるので取ってきますか?」と打診。雨が降りそうでホテルのスーツケース内に傘が入っていたため、ちょうど良かったと思い急いで朝陽館と長野駅を往復。ここで資料を取りに行く判断は大正解で、店を出る時にはかなりの雨となっていました。自分に声をかけた方が書肆朝陽館の店主でした。
資料を見ながら話を伺う。明治の始め頃から本屋を営んでおり、代々荻原磯右衛門を名乗っていた(荻原實の父以降、磯右衛門は名乗っていないように見える)こと、店の建物は1997年頃に建て替えたこと(屋根瓦は太陽を模しており、創業当時からのものを使っている)、ダイエーにかつて出店していたことなど(こちらは信濃毎日新聞の記事に記述があったことを確認)……話を聞いていて、改めて長野では「1998年」というのが一つのキーとなっていることを感じました。
また、これ以外にも、本屋の傍ら、議員も勤めていた人がいること、「朝陽学校」なる学校に関わっていたことも教えていただきました。この辺の話は後編に、資料を交えながら見ていきたいと思います。
話の途中、「蔵、見ます?」と言われたので見せていただくことに。この蔵は江戸時代から残っているとのこと。朝陽館荻原書店時代ではこの蔵は「ギャラリー『蔵』」という名前のギャラリーにしていた、はずです。蔵の1階部分には万年筆の看板が、2階に上がるとたくさんの本が置いてありました。番台も置いてありました。この本はかつて朝陽館で売っていた本。明治時代の本が目の前に山のように置いてあった光景は、なかなか見ることができないものでした。
蔵を見せていただいた後、さらに版木も見せていただけることに。火鉢のカバーとして使っているものが、かつて版木だったものでした。版木の詳細はわからないですが、個人的には軍記物のように思いました。拓本を取って確認、してみたいです。
版木について更に、「ここで使った版木は北陸に流れていった」という話も伺いました。今と違い、出版自体が版木を刷ってやるものだったので、長野で必要なくなった版木を流すなら北陸、というのはなるほどと頷けるものでした。ここに来た版木も、かつては東京辺りで使われていたものだったのかもしれません。まさに「版権」の移り変わりの生き証人が、ここにありました。
長野県の本屋の場合、三都で版木を購入して松本で印刷、販売していた高美書店が現在も松本にあるので、近世から近代はじめ頃の話は資料なりで一度追いかけてみたいものです。
さて至れり尽くせりだったのですが、本屋についての話も伺うことに。お店を閉めたことなどは、双子のライオン堂が発行している『しししし 3』にインタビューが載っているので、そちらを見ていただくとよくわかります。
個人的に印象に残った話としては、本屋という商売の形態について。かつて店舗設計も取次がやっており、基本的に配本で売る本が入るというシステムは、戦後から高度経済成長期には非常に上手く行ったシステムでした。
それは時代に「同じような」ものを求められていたからで、それが今はどんどん機能しなくなっている。日々本を選んでいる書店は多いが、今後はより「選ぶ」行為が必要になってくるのではないか、と思いました。2000坪ある都心の大規模な本屋ならまだしも、地域のいわゆる「街の本屋」というものは、ますます本を選んで行く方向にシフトしていくのかもしれません。
朝陽館は取次を入れてはいるのですが、「自分たちが売りたい本を入れる」という姿勢を取っているので、配本は使っていないように思われます。店は「朝陽館」ですが、法人名は「皎天舎」となっています。この「皎天」は「夜明けの空」という意味があるようで、この名前について、「朝陽館という店を一度畳んだ。そういうことも吸収できるような名前」とおっしゃっていました。あと100年、続いてほしい本屋です。
後編では資料から朝陽館を見つつ、買った本を紹介していきます。