2018年3月7日に開催したイベント「「みんなちがって、みんないい」? 多様性をテーマに語る日本のいま ~浅生鴨『伴走者』(講談社)・小野美由紀『メゾン刻の湯』(ポプラ社)出版記念 トークイベント~」。
報告が遅くなりましたが、お陰様で満席となり、イベントも無事終了しました。ありがとうございました。
当日は、お二人のファンの方から、「多様性」というテーマに惹かれて参加された方、中には歌舞伎町ブックセンターに来てみたかったから参加したという方もいたようです。
浅生鴨さんと小野美由紀さんとの軽妙なやり取りが素晴らしく、質疑応答の場面では参加者の方からの積極的なご質問もありました。イベント終了後のサイン会では行列ができて、本も買ってくださる方もたくさんいて、嬉しい限りでした。
それもこれも、浅生鴨さん、小野美由紀さんのお二人の魅力はもちろんですが、歌舞伎町ブックセンターという場所の力があってこそだと思っています。登壇者のお二人を初め、歌舞伎町ブックセンターの皆さま、お力添えいただいた皆さまには心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
さて、そんなイベントではありましたが、残念ながら来られなかった方もたくさんいたようでしたので、当日の内容をまとめていきます。
今回は当サイトBOOKSHOP LOVERと、僕の手伝っている読書コミュニティサイト・本が好き!の運営ブログとで分けて掲載していきます。全5回予定です!
それでは、どうぞ〜。
(本を読んでから、まとめを読んだほうが楽しめると思います。最高に面白い本です!)
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「多様性」っていう言うけれど……
小野 皆さんこんばんは。今日は来ていただいてありがとうございます。小野美由紀と申します。よろしくお願いします。
浅生 よろしくお願いします。
まず、大きい主語の大きい話を最初にしておこうと思うんですけど。僕も小野さんの『メゾン刻の湯』を読んだんですけど、これは多様性がテーマなんですか?
小野 答えとしては YES なんですけど。でもどんな多様性を書きたかったかっていうと、大きいカギカッコで括られた多様性を語るのってすごい難しいっていうか、それはできないなと私は思っています。
最初に、この小説(『メゾン刻の湯』)のあらましから話すと、3年くらい前に前作のエッセイの担当編集者の方から「小説、書かない?」って言われたんですよ。それで、最初は私、ファンタジーを書きたいなって思っていたんです。
浅生 そうなんだ。
小野 でも、「美由紀ちゃん、シェアハウスに住んでいたんだから、シェアハウスものを書いてよ」って言われたんです。で、一回、12万字くらいのものを書いたんですね。それが自分の中でしっくりこなくて。そんな時に、相模原の障害者施設の殺傷事件が起きて。自分の中でそれはすごく大きな出来事だったんです。
浅生 それはなんで大きかったんですか? そういう施設で小野さんが何かやってたとか、知り合いにそういう障害者がいるとか?
小野 全然なかったんですよね。ないんだけど、あのニュースをテレビで見た瞬間にやっぱりなんかこう体が震える感じがしたというか、全然、他人ごとじゃないなっていう気持ちになりました。すごく自分がその事件と体が紐付いてる感じがして。それで、この社会でどうやって生きていったらいいのか、みたいなことがすごく大きい問いとしてそのときに自分の中に浮かんだんですね。
その問いに関する自分の暫定的な答えと、あと、二十代のうちにずっとシェアハウスに住んでいたので、そこで感じた自分のリアルとしての多様性みたいなを書こうと思いました。
社会で言われる「マイノリティの人権を大事に」とか配慮とかそういうものとは全く関係なく、自分がシェアハウスの中で感じていた、分かり合えない人と一緒にそれでも住むとか暮らすってどういう事だろうみたいなことですね。
実はこの小説には実体験もすごい入ってるんですよ。
自分の感じた皮膚感覚としての多様性と、事件で感じた問を結びつけたものがこれになった。いや、なっちゃった。みたいな感じです。
浅生 なんでシェアハウスに住んでいたんですか?
小野 小説の冒頭部で「マヒコくんが内定なしで卒業して、でも、ほかのみんなは内定を持っていて大学の講堂で卒業証書を捨てちゃう」というシーンがあるんですけど、私もマヒコくんと同じように大学卒業したばかりの時に内定が取れなくて就職しないで社会に出たんですね。
「無職じゃん」みたいな感じで本当に惨めな気分で大学を卒業して。本当に実体験の「惨めな感じで卒業式に出るのは嫌だな」みたいなところから小説は始まっています。
その当時の友達の中で、すごく変わった子がいました。学生の間はずっと会社をやっていて働いていたんだけど、卒業してからは一回も働いてないっていう男の子です。その子が当時、たまたまシェアハウスをつくったんです。それで、そのシェアハウスに集まっていたメンバーが、例えばNPOを立ち上げるとか、ベンチャー企業を立ち上げるとか、本当にお金がない人たちでした。そこに私も入れてもらって、そこで、ワークショップやったりイベントやったり飲み会やったりして、その収益だけで生活するってことを実験的に2年間ぐらいやっていたんですね。
最初はお金がキッカケなんです。
浅生 やっぱりシェアハウスだと安いんですか?
小野 安いです。家賃4万円くらいです。シェアハウスの話をちょっともう続けちゃいますけど、男女7人で住んでいると本当に価値観が違わないことがないんですよ。
例えば、ちょっと聞く人によってはゲッて思うかもしれないですけど、洗面所に、歯磨きした後にゆすぐコップが置いてあるじゃないですか。それがそのシェアハウスには誰が置いたか分からないコップひとつしか置いてなかったんですよ。あるときその持ち主かどうか分からないですけど、同居していた女の子がコップの中に洗面所のシンクの栓を入れて漂白していたんですよ。私の感覚だと超汚いと思っちゃうんですよ。
そういう衛生感ひとつとってもめちゃめちゃ差異があるわけですよ。その差異が、常に全方位から毎日のようにビンビンに感じさせられている環境で4年間くらい過ごしていたんですね。
毎日のように人との違いみたいなのを感じて、しかもそれを一致させようと思ったらとにかく話し合わないといけないんですね。そういう感じが自分の中に蓄積していて……あれ、なんの質問でしたっけ?すみません、ヒートアップして最初の質問忘れちゃいました(笑)
浅生 多様性って大きい言葉で括っちゃうと良く分からなくなるんだけど、日常の中で「私のやり方とあなたのやり方は違うよね」っていうことがたくさんあるということですよね。それが小野さんにとっての実感としての多様性なのかな。
僕はニュースで見る言葉としての多様性って何かしっくりこなくて。「多様」っていろいろあっていいよねって話なのに、多様性であるべきっていうひとつのステレオタイプを押し付けられているような気がしていつも気持ちが悪い思いをしているんですよ。
小野 多様性っていうと言葉が「配慮」とかそういうものと強く結びつきがちだなと思いますね。
浅生さんに質問していいですか?
こういうテーマでトークイベントをやらせていただいていますけど、ご自身の小説に関してはどうですか? 多様性を描いたなっていう感じはします?
浅生 いや全く描いていないかな。
小野 なんかそうかなって思っていました。
浅生 もともと僕はデビューの時からずっと同じことを書いてるだけで、いつも、「他者」つまり自分と考え方だったり見た目だったり、あるいは感じ方だったり境遇だったり。何かしら違う他者とどう一緒に生きていくかだけをどうもずっと書いているみたいなんです。
小野 『メゾン刻の湯』じゃないですか。
浅生 そう、だから、ごめんなさい、真似しました(笑)
小野 そういう意味で言ったんじゃないですよ(笑)
浅生 ただ、その他者っていうのは自分の外にいる他者だけじゃなくて、自分の中にいる他者も含んでいて。つまり、自分が本来認めたくない悪意だったり狡さだったりっていうもの。あるいは自分自身が受け入れがたい環境だったりとか突飛な出来事だったりとか。そういうものを含めての他者というもの。つまり、自分のルールとは違う何かをどう受け入れるか、ということだと思っていて。
実はそれがないと世界は完成しないと思っているところもあるんですよ。だから、ぼくは自分の中に悪意がときどき芽生えるのがなくなればいいとは思っているんですけど、この悪意がなくなったら自分は自分じゃなくなるなっていう感覚もあって。
社会一般を見たときにそこにいる人全部がパズルのピースで、いろんな形の人がいて、いろんな考え方の人がいて、その全部をはめると一枚の世界のジグソーパズルが完成するんじゃないか、みたいなことをたまに考えて熱が出たりするわけです。
小野 そうなんですね。熱が出るほど、考えられるんですね。
浅生 あんまり普段考えていないので、少し考えるだけで熱が出るんですけど。
小野 知恵熱が(笑)
浅生 そういう意味では多様っていう言葉の狭さにちょっとうんざりしているというか。多様って言っている割には指しているものが狭い気がする。
小野 多様性って言葉に対してどんなイメージを持つかって人それぞれだと思うんですけど浅生さんの場合は、狭くなっているって思うんですね。
浅生 狭い感じがしますね。
(その2は2018年4月11日公開予定)