"ひとことで言うのは難しいけど、僕は自分の作品には、冒険的で美しく、刺激的かつ反抗的で、すべてのレベルでひとが接点を持てるものであってほしい。…略…これが一番重要なんだけど、家族アルバムのようなものであってほしい。僕の本を手にとったときに、誰かの家でソファーにでも座って過去15年分の家族写真を見ているように感じてとらえたら最高だね。人と僕の作品のあいだに繋がりがあること。" 『美術手帖 2012年 12月号 [雑誌]』p.44より
ライアン・マッギンレーのことを知ったのはアマナの発行する雑誌『IMA』を読むようになってかはだろうか。vol.いくつかでライアン・マッギンレー特集が組まれていた。そのときに感じたのはファンタジーだなあ、ということで、そういえば昔、深夜にやっていた映画で無人島で2人きりで暮らす男女が第二次性徴を経て大人になるイノセント映画を思い出した。あれってなんだっけ?……って調べてみたら、そうだ、『青い珊瑚礁』だ。
『青い珊瑚礁』の設定やストーリーは正直まったく覚えていないんだけれど、ぼくがこの映画から感じるイメージがライアン・マッギンレーと似通っていてそれは「イノセント」なこと。
写っているモデルはみんな裸だけどもほとんどエロティックではないし、かと言って健康的な美って訳でもなく、どこか現実感のない浮遊したキレイさを感じた。ファンタジーの中にあってキレイでイノセントな触れられないからこそ美しいもの。
そんなライアン・マッギンレーの写真がぼくは好きなんだけども、ギャラリーショップで買った『美術手帖』のライアン・マッギンレー特集に、彼が撮っているものは「青春」なんだとあって少し納得。『時をかける少女』の細田守版アニメを映画館で観たときに近い感覚があるからだ。
でも、「少し」と書いたのはそれだけではないように思うからだ。というのも、青春というものは儚いけれども誰もが一度は通ってきたもので「触れられないもの」ではないけれど、ライアン・マッギンレーの写真からは「触れられないからこそ美しいもの」のような感触があって、だから、ただ「青春」というだかではないように思うのだ。
でも、『美術手帖』の本人へのインタビューには以下のように「人と僕の作品のあいだにつながりがあること」とある。
……うーん、ということは完全に的外れの感覚なのかしら? まあ少なくともぼくはそう思ったということで。
感覚や感動を説明するのは難しいなあ。
あ、この展示は7/10(日)まで東京オペラシティ アートギャラリーで開催されていますので、ぜひ行ってみてくださいね。