本稿は、岩手県立図書館に依頼したレファレンスの結果を参考にしております。この場を借りて感謝申し上げます。
東京からはやぶさで約2時間半(そのうち大体30分は東京~大宮)。米国の新聞にも取り上げられ、ぼちぼち観光客もいた盛岡市に今回訪れた東光書店はあります。
この時はボンネットバスに乗るための松川温泉宿泊を目的に盛岡の本屋巡りを組んでみました。盛岡までの移動は鉄道開業150年記念ファイナル JR東日本パスを利用。こういう時でないとそうそう北上しないのでは、と思ってしまいました。
順調な行程かと思ったらやらかしが発生。朝一番のはやぶさに乗るはずが寝坊(遠征で初めて)したので、慌てて40分後のはやぶさを予約、途中駅で特急券を発券して事なきを得ました。4回まで指定席予約可だったのは助かりました。
盛岡で新幹線を下車、午後から松川温泉に行く(松川温泉まで行くバスの本数は少なく、盛岡からの最終便は13時頃)ので一旦バスで盛岡バスセンターへ。リニューアルしたようで非常に綺麗なバスターミナルでした。コインロッカーへ荷物を預け、本屋巡りへ。上ノ橋のたもとまで歩き、東光書店に到着。JR東日本のポスターにも掲載されたBOOKNERDは東光書店の次に伺いました。
店主との話
店に入ると棚が3列。一番左が郷土資料、真ん中は歴史関係、右が美術系の大型本がメインでした。カウンターの前には紙ものがあり、訪れたときには小岩井農場関連のものがありました。帳場近くには南部絵暦が額に入っていました。
近世の暦については個人的に興味を持っているのですが実物は今回初めて見ました。近世~近代の暦の販売業者の変遷を個人的に調べてみたいと思いつつ、まだ先行研究の調査すら未着手な状況です。初めての岩手遠征だったので郷土資料をメインで物色。本を見つけたので会計のタイミングで話を伺うことにしました。
折付佳子『増補新版 東北の古本屋』(文学通信)(以降、本書を『東北の古本屋』と記す)を読んできたことを話題に出しつつ、いくつか興味深いお話を聞くことができました。
まず、上ノ橋たもとの店舗(今回伺った東光書店)は1936(昭和11)年に開いたもので、それ以前は別の所で店舗を営んでいたこと。この店舗自体は上ノ橋が落成したときの写真にも載っているとのことでした。1936年以降ずっと建っている店舗だということを改めて聞き、驚きました。
次にこの店の創業者東野光一郎はどうやら東京におり、関東大震災をきっかけに盛岡に戻って書籍商を営み始めたということ。また、東野光一郎は明治期の新聞記者である横川省三と関係があったようで、横川省三関連の資料はどうやら寄贈したとのこと。『東北の古本屋』を確認すると、
「東光さんの縁者でもある横川省三」
とあるのでおそらく間違いなさそうです。
様々話を伺った中、直近の話題では新幹線のはやぶさが登場し、東京が非常に近くなったとおっしゃっていたことも印象的でした。たしかに東京からだと約2時間半と、実際に移動してみて非常に近い風に自分も感じました。
資料から見る東光書店(と創業者東野光一郎について)
ここからは、資料を掘りつつ東光書店について見ていきます。古書組合に加盟している古本屋のため、ここ東光書店はもちろん『東北の古本屋』に記載があります。折付によれば、
「有名蔵書家のコレクションを扱い、東京の明治古典会をにぎわした。」
とのこと。おそらく現在では稀覯本はそうそうお目にかかることができないですが、かつては東京の市でも東光書店の名を見ることができたようです。
また、1986年の『季刊 銀花 65号』(文化出版局)の「みちのくの古本屋さん」にも記載を確認しました。『季刊 銀花』は古本屋関連の記事も載っており、調査に使うことができる非常にいい逐次刊行物です。ここには
「この店は昭和七年ごろ開店して既に五十年以上になる。」
とあり、戦前からやっていたことは間違いないようです。しかしながら折付の『東北の古本屋』を確認すると、
「昭和九年創業の老舗である。建物も昭和一一年築の文化財級の瀟洒な木造建築」
とあり、記述に食い違いがあることがわかります。もう少し他の資料を当たってみることにします。
ここで使うのは古典社から出ている『古本年鑑』。これの「全國古本商名簿」を確認していきます。戦前の古本屋の名前を調べるには有効な資料の1つです。1933年に発行された『古本年鑑 第1年版』では「奥羽地方」の項に岩手県の古本屋は見当たらず、初めて登場するのは翌年の『古本年鑑 第2年版』。そこには東光書店の名前はなかったものの、「東光社 同上田専賣局前」という記述を確認できました。
上ノ橋の店舗が1936(昭和11)年頃なので、もしかすると店主の言っていた
「かつては別のところで営んでいた」
というのはこの東光社なのかもしれません。
ちなみに上ノ橋にある店舗については、2013年にもりおか歴史的建築物まち並み探訪ガイドブック編集委員会が発行した『もりおか歴史的建築物まち並み探訪』(岩手県公会堂)の「上ノ橋際の店舗」に建物の紹介がありました。
それ以外には伊山治男『時空紀行 盛岡四百年』(盛岡観光協会)の「上ノ橋と古書店」に記載を確認しています。両者とも東光書店の隣には千代紙を扱う「ささき千代紙店」があったことが書かれていました。また、後者では東光書店の近くに「上ノ橋書房」なる古本屋があった旨の記載がありました。
これは正直確証がないのですが、国会図書館デジタルコレクションにて「東野光一郎」をキーワードに調べると、「千代田印刷株式会社」なる印刷所が発行した書籍が検索できます。場所は東京市京橋区弓町13番地。大体銀座の辺りでしょうか。この「東野光一郎」が東光書店創業者と同一人物であるならば、店主の話にあった
「東野光一郎は東京にいた」
ということが事実であることがわかります。しかしながら同姓同名の別人物という可能性があるので、ここは注意しながら今後調査をしていきたいところです。
創業者東野光一郎つながりで、横川省三との関係について。これは利岡中和『真人横川省三伝』(「真人横川省三伝」刊行会)に
「母堂三田村クニ女について 東野光一郎氏(横川省三従弟(ふたいとこ))語る」
にあるように、確かに横川省三とは縁戚関係にあったようです。
2つの「東光」
松川温泉に宿泊した翌日、盛岡の古本屋キリン書房にて「東光社という本屋があり、東光書店の弟が営んでいた」との話を伺いました。この東光社、先述の『古本年鑑 第2年版』に名前があった本屋です。東光書店と東光社という東光の名が付く本屋が盛岡にあったということになります。このことについて気になったので、少し調べてみました。岩手県立図書館にて複写をしてきた『盛岡郷土史談会誌 第4巻 第3号』に
「東野光一郎氏よりの寄稿なり。氏は盛岡市上ノ橋側紙町ニ古本屋を出し東光社と云て居る蓋し姓の一字と名の一字を採りしるのならん令弟君マタ赤川ハズレ上田入口ニ古本屋を出し、東光社分店の下ニ高農師範、盛中などを相手に見てならんか」
という記述が確認できました。これを読むと、『古本年鑑 第2年版』にある東光社は東野光一郎の弟が営む店(東光社分店)であろうと推測できます。
戦前発行の資料ではこれ以上追いかけることができなかったのですが、ふと、『日本古書通信』の広告を見ていこうと思いつき、調べてみることにしました。古本屋の話ならば古書通信を漁ればきっと何か出てくるでしょう。
1949年1月に発行された『日本古書通信 14巻1号』には、
「賣りよく。買ひ安い。 東光社古本専門店 岩手縣盛岡市紙町(上ノ橋際)」
の広告を見つけました。住所の「上ノ橋際」からこの「東光社古本専門店」は東光書店であることがわかります。この15年後の1964年に出た『日本古書通信 29巻1号』には
「古書籍全般 東光社書店 盛岡市三戸町」
の広告を確認しました。この東光社書店は翌年に盛岡市本町3丁目へ移転していることが『日本古書通信 30巻1号』の広告で確認できました。
しばらく経った1974年発行の『日本古書通信 39巻11号』の東北文庫という店の目録に、
「「東光社書店」此度余儀ない事情により右記へ「店名」を改称及移転致しましたのでお通知申し上げます。」
と書かれていました。住所も本町3丁目から本町2丁目へと移転しています。その翌年の『日本古書通信 40巻1号』の広告に「東光社書店改名 東北文庫」があり、間違いなく東光社から東北文庫へ改名されたことがわかります。東光社書店時代には「東野三郎」なる人物と「東野憲次」なる人物の2名が連名で載っていたのですが、東北文庫に変わった時には東野憲次のみの記載でした。
この東北文庫について、日本古書通信社から出ていた『全国古本屋地図』(昭和52年版)では
「店主は神田一誠堂出身。石川啄木、宮沢賢治など地元の出版物の売捌もやつているのでこの地方の出版についてはくわしい」
とあり、どうやら店主である東野憲次は一誠堂の出身であるようです。一誠堂書店の記念誌である『古書肆100年 一誠堂書店』(一誠堂書店)の磯野佳世子「コラム3 一誠堂から好敵手へ」に
「また他の古書店の子息が一誠堂で修行することも度々で(中略)盛岡・東北文庫の東野憲次氏なども修行をした」
とあり、一誠堂書店で修行した事実を確認できました。
東光社について、「東野三郎」が東光書店の東野光一郎の弟ではないか?と推測しているのですが、これ以上は確たる証拠は今のところ見つからず。しかしながら盛岡に「東光」の付く本屋が2軒あったことは間違いなさそうです。
買った本
今回買った本は、『いわて 第七號』(岩手縣立図書館)。岩手県立図書館の館報となります。盛岡についての写真の載った本と迷っていたのですが、読み物として面白そうなだけでなく、「図書館の館報は発行当時の書店リストとして活用できる」と考えたので購入。
案の定、柴田書店、久保庄書店などの広告が掲載されていました。古本屋としては紺屋町の国劇前にあった小田島書店が載っていました。山形の郁文堂書店を調べる際にも、県立図書館の館報から本屋の存在を確認していたので、積み重ねていけば非常にいいツールとして使えそうな買い物でした。