本稿は、青森県立図書館へレファレンスを依頼し、その結果を用いています。この場を借りて感謝申し上げます。本来ならば弘前市立図書館へもレファレンスを依頼するべきではありますが、今回は青森県立図書館へのレファレンスである程度の資料把握ができたため、行っておりません。ご容赦ください。
青森から鉄道で約1時間。今回は青森県の弘前に来てみました。弘前自体はこれで2回目。前回はあけぼの・はまなすを使った東北方面の遠征の際、青森に到着したはまなすからいなほに乗り継いで来たことがあります。しかし本屋巡りとしては初めて。この時ちょうどえきねっとのグリーン車半額キャンペーン(普通車に乗るよりもグリーン車の方が安い)があったので、弘前で現在もやっている石場旅館への投宿を副目標にした本屋巡りを組んでみました。
本来なら翌日は青森に移動して青森市内中心部の本屋と青森県立図書館の予定でしたが、結局弘前観光と弘前読書人倶楽部の見学で終わってしまったので、青森市と残っている八戸市の本屋はいつか行きたいところです。多分その前に何回か弘前には行くことになりそう(大鰐温泉のヤマニ仙遊館、黒石の中村旅館への投宿を果たしたい)。
遠征時期は2月。真冬の津軽でした(翌週は松川温泉への投宿目的で盛岡の本屋巡りをしている)。新青森で新幹線から普通列車に乗り換えて弘前へ。雪が降る中徒歩で本屋へ。大体弘前駅から歩いて30分くらい(正直中央弘前から歩く方が近い、そもそもこの距離を歩こうと思う時点で「おかしい」と思われそう)かかりました。近くまでバスで行くのがいいかもしれません。弘前のバスも最近は交通系ICカードが使えるようになったので利用しやすくなったはずです。ちなみに、弘前駅から徒歩圏内の古本屋は、小山古書店です。
店は青森銀行の向かい側。少し歩けば青森銀行記念館や三上ビル(旧弘前無尽社屋)など、国指定の文化財を見ることができるエリアです。弘前城にもほど近いので、城を見学してから本屋を見るのもいいかもしれません。上着に付いた雪を払って入店し、棚を物色していきます。
ちなみに、「成田」のつく本屋は青森市の新刊書店成田本店もあり、検索する際は混同してしまうかもしれません。成田本店も歴史を辿ってみたら面白い本屋だと思うので、いつか訪れたいところです。
店について
入り口近くの棚には弘前や青森関係の本(郷土資料)がありました。この辺りは比較的手に取りやすそうな感じがしました。左側の棚には文芸や文庫本、右側には新書、入り口よりも濃い内容の郷土資料(自治体発行の郷土史など)がありました。左奥も郷土関係で、全体的に郷土資料が多い印象。
現地の古本屋の醍醐味は、やはり郷土資料。しかしながら最近はこの手の本がそこまで売れていないという話もちらほら聞いているので、これをいつまで楽しめることができるか、とも考えてしまうこともあります。
本を手に取り会計へ。そのタイミングでいつものことながらお話を伺いました。この店は戦前に創業し、かつては貸本も行っていたとのこと。店主はかつて日販に在籍したことがあることを教えていただきました。また、いつかは聞きそびれたのですが、かつて弘前にあった中畑書店にもいたことがあるとも。
日販在籍の頃の話も更にしていただきました。その中で、は古書会館の上に行ってたり、八木書店に寄っていたりと神田界隈の話も聞くことができました。話している中で、「元々新刊をやるはずだったのだが、古本屋をやったから結果的に今まで生き残れたのかもしれない」との言葉が。新刊の場合は価格を決めることが基本できないので、価格決定の裁量が店にある古本の方が、長く店を維持することができるのかもしれません。
古本屋時代の話も伺ってみると、東京の百貨店へ出店したことがあったり、今も東京の市へ出品をしているとのこと。地方のいいものは人口が多い東京に流れていく、のかもしれません。
資料などから見てみる
成田書店について、資料から少し見ていくことにします。東北地方の古本屋(組合加盟店に限る)についてはだいたいこの1冊があれば大丈夫だろう、と個人的に思っている折付桂子『増補新版 東北の古本屋』(文学通信)には、
「創業一九二八(昭和三)年、(中略)現在の店主は二代目、若い頃は日販特販課に勤め、新刊書店を志した時期もあった」
とあり、戦前からあったこと、日販にいたことは確かなようです。
もう少し、戦前からあったことについて資料を見ていきます。青森県立図書館へのレファレンス結果を確認すると、複数の記述を確認することができました。『東奥日報』2014年11月19日12面の「わいどわがまち 弘前/元気です!! 古本屋 成田書店 小山古書店 郷土出版物や専門書充実 活字離れ 電子書籍にも負けず80年」では、
「成田書店は1933(昭和8)年、市内の書店に勤めていた成田清志さんが開業した」
と記述されています。
また、『読売新聞』2004年3月13日27面の「読んでみるが! 変わる古本屋 弘前 「出会い」生む奥深さ」には「「成田書店」は、一九三〇年ごろ創業」とあり、それぞれ折付の記述と異なるものです。その他、『弘前商工名鑑 1987年版』(弘前商工会議所)を確認すると、「創業年」の記載が「昭和5」と書かれていました。更にもう一つ、別の資料を見ていくことにします。連載などでたまに使う沖田信悦編『出版流通メディア資料集成(三) 地域古書店年表―昭和戦前戦後期の古本屋ダイレクトリー』(金沢文圃閣)の第一巻です。
この資料は、主要な組合史がある都道府県を除き、国内各所と樺太・朝鮮・台湾にどのような古本屋があったのかわかる資料です。この資料の索引は、金沢文圃閣の索引データベースに入っているので、使う前に索引だけ見るのもいいかもしれません。
この資料の「【青森】」を確認していくと、古典社の『古本年鑑』は記述なし(今もある古本屋では弘前駅近くの小山古書店が掲載)。では成田書店が掲載されているところは、と確認していくと「昭和十七年『古書月報』一月号」の項目に、
「住所変更 弘前市成田清志書店(創業昭和6、7 現成田書店)は親方町一八に変更」
という内容がありました。
戦前の古書月報、果たしてどこで実物を見ることができるのでしょうか。神田の古書会館とかにあるのか、あったとして自分のような素人が見れるものなのか、気になるところです。さて……あまりにも各資料の記述がバラバラで、どれが本当のことなのか、わからなくなってきたのですが、おおむね1930年代には成田書店はあっただろう、ということはわかりました。
それならなぜ『弘前商工案内 昭和10年版』(弘前商工会議所)に掲載がないのか、と思うところがあります。『弘前商工案内 昭和10年版』には「書籍雑誌」の項目には中畑書店、今泉など新刊書店は載っているのですが、古本屋は載ってないようです。各種商工名鑑は採録基準が何なのか、今後も調査資料として使っていくのでわかるようになりたいところです。
そしてもう一つ、店主から「貸本も行っていた」ことを伺っています。これについては『弘前市政一覧 昭和26年度』(弘前市役所)の「貸本」に「成田淸志 親方町一八」と「成田淸志 富田字富野町六一」の記載を確認しました。成田書店は間違いなく貸本屋をやっていたことがこれでわかりました。
前者の住所は現在の場所であることがだいたいわかるのですが、後者は果たして、と他の資料を確認しているところ、『東奥日報』2014年11月19日12面の「わいどわがまち 弘前/元気です!! 古本屋 成田書店 小山古書店 郷土出版物や専門書充実 活字離れ 電子書籍にも負けず80年」に
「当初は病院の患者らを相手にした貸本屋」
という記述を見つけました。「富田字富野町」はおそらく弘前市富野町だろうと判断し、地図を調べていると、確かに病院がありました。独立行政法人国立病院機構弘前総合医療センター、その前進である国立弘前病院の患者などを相手に成田書店は貸本屋を営んでいたのではないか、と考えられます。しかしながら詳細な資料を見つけていないので、どの病院を相手にしたかは確定できないので、一旦ここまでに。
貸本屋についてその他資料を確認していくと、『弘前商工名鑑 昭和35年版』(弘前商工会議所)に「成田貸本屋」が2軒掲載されていました。それぞれ
「代表者指名:成田清七 所在地:富田三丁目」
と
「代表者指名:成田清志 所在地:品川町10」
とありました。後者の成田清志は成田書店創業者であることは間違いないです。その他、『弘前商工名鑑 昭和44年版』(弘前商工会議所)に
「成田貸本屋 成田ヒサ 富田三丁目7-3」
の記載を確認しており、1960年代頃までは貸本屋をやっていることがわかりました
買った本
今回買った本は、上山六郎『つがる明治百年』(陸奥新報社)。天候による荷物の制約を考えるとこの1冊のみ。他にも良さそうな本があったのですが、今回はこれだけです。
どうやらこの本は、陸奥新報に掲載された連載を書籍化したものだそうです。明治維新前夜から始まり、東奥義塾、八甲田、津軽焼(この本で津軽焼を初めて知りました)など書かれています。陸羯南が弘前生まれということも初めて知るなど、その土地に関する本を見つけて読むのも楽しいものです。
その中でも個人的に興味深いのはリンゴについて。このリンゴ栽培がどう定着していったのか紹介されています。菊池楯衛、外崎嘉七など調べてみると面白そうなので、ここをきっかけに斎藤康司著 神田健策編『りんごを拓いた人々』(筑摩書房)を読むといいかもしれません。