今回は前編の話から朝陽館をもう少し掘り下げてみようと思います。
さて、前編にて「明治の始め頃から本屋を営んでいた(かつては質屋もやっていた)こと」、「朝陽学校という学校に関わっていたこと」がわかりました。ここからはこの2点プラスαについて、資料を見ていきたいと思います。
まず、「明治の始め頃から本屋を営んでいた(かつては質屋もやっていた)こと」について。こちらは鈴木俊幸『信州の本屋と出版』(高美書店)に「菱屋荻原磯右衛門は、いまの朝陽館荻原書店である。早いところでは明治十一年三上真助刊『信濃国村名鑑』と『日本地誌略』に見当たるが、江戸末期からの営業である」という記述を見つけました。また、『全国書籍商総覧 昭和10年版』(新聞之新聞社)の「荻原實」の項には「同店は明治三年の創業にして以前は質屋なりしを書籍商に轉業せしなり」の記述があります。
鈴木(前掲書)の「江戸末期」は、何を根拠にしたのか正直わからないのですが、明治の前半には本屋を営んでいたことは間違いなさそうです。なお、『帝国信用録 23版(昭和5年)』(帝国興信所)には開業年が「明32」と記載されていました。開業が明治32年という出典はつかめていませんが、これよりも前に書籍商を営んでいるのは、他の資料を参照しても間違いありません。
ちなみに荻原實について、『人事興信録 第11版 改訂版 上』(人事興信所)を確認すると、「信濃日日新聞社長たり」という記述を発見しました。『官報 1929年04月17日』を確認すると、荻原實が信濃日日新聞の取締役に就任していることが確認できました。果たしてこれが社長なのかは置いておいて、信濃日日新聞と関係があることは間違いありません。
質屋については、『帝国信用録 23版(昭和5年)』に「荻原周三」なる人物が、荻原磯右衛門と同じ住所、開業年月に質、貸金を営んでいる記述がありました。
次に「朝陽学校という学校に関わっていたこと」について。こちらは県立長野図書館へレファレンスを依頼し、出してもらった資料を参照していくことにします。
『後町教育百年』(長野市立後町小学校)の沿革図を確認すると、朝陽学校の名前がありました。この資料の第2章が、朝陽学校について書かれている箇所となります。朝陽学校の建設費の費用調達と田畑抵当に入れての借用証文に、荻原磯右衛門の名前が確認できました。たしかに朝陽学校の創設に朝陽館が関わっていたことは間違いないようです。
また、『後町教育百年』の一部資料の収蔵先は「朝陽館荻原書店」となっていました。朝陽館の由来について、このように書かれていました。「荻原磯右衛門・政太は親子(実兄弟で准養子)であり、一家二代にわたって朝陽学校の創設・発展に心血を注ぎ、後にその名称が廃されるのを惜しんで、自らの屋号にされたのであった(朝陽館荻原書店所蔵の諸資料および当主荻原泰雄氏の話による)」。朝陽学校から朝陽館を取ったことは、この資料を見なければ知り得なかったことでした。
そして、「信濃書籍雑誌商30年史」を確認すると、荻原磯右衛門の弔辞に「公共事業に就ては明治三十九年六月から大正五年五月まで長野市會議員並に名譽職參事會員となり明治四十年二月から大正八年二月迄は長野商工會議所常議員、(中略)昭和六年四月一日長野市功勞者として表彰された」という記述がありました。
さて、ここで長野市が出版した『二十年間の長野市』という資料を確認してみます。長野市議会議員について、たしかに明治39年6月の市議会議員選挙に当選していることが確認できました。また、名誉職参事会については、明治45年10月の選挙にて当選していました。名誉職参事会については、内閣印刷局が発行した『職員録』の大正2~5年版で確認ができます。
また、倉島元弥 編『善光寺案内記』(仏都新報社)によると、「養育院理事として貢献する所多し」と書いてあり、理事であることは確認できませんでしたが、『大勧進養育院年報 大正7年度』では会計監督、『財団法人大勧進養育院年報 大正13年度』では監事の役に就いていることが確認できました。
長野県功労者については調べがつかなかったのですが、『日本全国諸会社役員録 第20回』(商業興信所)に長野商工会議所の議員として、『日本全国諸会社役員録 第21回』(同)には明正貯蓄銀行取締役、長野瓦斯株式会社と長野新聞株式会社の監査役に就いていることは確認できました。
朝陽館は、長野において、地元の名士のような存在だったのでしょう。諸資料での掘り下げはここまでにして、後は朝陽館が社史を作ってくださることを心待ちにします(店舗のホームページに「朝陽館の歴史」という空のページがあるので)。
今回買った本は『火星の生活 誠光社の雑所得2015-2022』(誠光社)。この本、本当は京都で買うべきなのでは、と思ったりしてましたが、ここで出会ったので。朝陽館も本屋に関する本が充実しているのですが、大半はすでに持っているものでした。
その中でこの本だけ持っていなかったので購入。京都へ行くまでに読んでおきたいです。京都に向けての課題図書(主に近世出版史関連)が非常に多くなってしまって、果たして読めるのか、という懸念もありますが。
ここで本を買ったら見てもらいたいのがブックカバー。建物と人の絵が描かれています。人の方は朝陽館オープン時にチンドン屋を呼んだみたいで、その絵だと思われます。建物の方は明治期の朝陽館で、今の本屋とは違い、座売りとなっているのが特徴的です。
絵を見てみると、漢籍だけでなく洋書も取り扱っていたようです。店の名前が「荻原商館」となっているのも、気になるポイントです。この絵、店の暖簾に寄せ三つ菱のような模様が描いてありました。
この菱、鈴木(前掲書)で「菱屋荻原磯右衛門」と書いてあり、当時の朝陽館の屋号が「菱屋」だったからだと考えられます。念のためもう少し調べたところ、『信濃国村名鑑』に「長野 菱屋磯右衛門」の記述を見つけ、朝陽館の屋号が菱屋であったことを確認しました。ちなみに『信濃国村名鑑』は参考に使用した鈴木(前掲書)に名前が載っているものです。