2020年夏に福岡は六本松に開店した本屋「BOOKSHOP 本と羊 & FARMFIRM DESIGN」。店主の神田裕さんに本屋になるこれまでといまとこれからを語ってもらう連載「本と羊をめぐる冒険~本と羊が出来るまでとこれから。~」。
最終回の今回は本と羊、「本屋」をやめる? な回です。
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最終回はかなり辛辣です。努力は必ず報われるわけではない。
でも希望を持ち、未来を想像して前進出来るのは人間だけなのです。
2021年。険しい日々。過ぎていく季節の中で思うこと。
年が明けてあっという間に過ぎていった今年一年。これを書いているのは11月末。秋らしい気配は短く、でも日差しは相変わらず強く、おかしな陽気が続く。開店して1年と3ヶ月が過ぎようとしているが別にここで語るほど大きな変化もない。劇的にお客さんが増えたり、売り上げが伸びることもない。SNSで毎日発信してはいるが、いいね! の数は来客数にそれほど反映されない。
通りを歩く人たちもいわゆる「一見さん」「一瞬覗き見系」「そもそも何しに来たの? 系」が多く、ただただ棚を眺めるばかりで本に触れることも少ない「観覧者」さんを毎日淡々とやり過ごす日々。店主の気配すら感じることもなく去っていく人を黙って見送り、乱れた棚や平台の本を整理するだけの虚しい日々の毎日で心も荒んでいった。心身共に何度も限界に達していた。六本松の飲食店にしか人が集まらない裏通りに本屋は必要なんだろうか。ただそればかりを自問自答し、悩み苦しんでいた。
この街の人には「小さい本屋」とはどう映っているのだろうか……。「商い」の図太さがまだまだ僕には備わっていなかった。
それでも。それでも支えてくれる人たちがいる。
いきなり数字で言えば、買ってくれるのは10人に2人ぐらいだろうか。そのわずかな人たちが少しづつ増えていき、お客さんとして、常連さんとして、仲間として、友人として支えてくれている。ここを知ってくる方には福岡の方々はもちろん、遠方からも訪れる方々もいる。通りがかりに店に気づき買ってくれて仲良くなる人達もいる。通販サイトから買ってくれる方もいる。
「買ってくれる人達の事だけ考えてないと」副店主(妻)に良く言われる。そうなんだよね。そうそう。でもすぐにネガティブ思考が邪魔をする。これではいけないと何十回もダークサイドに落ちそうな自分を自分で引きずり出していた。福岡でやることが正解だったのか? 常に疑問も湧いてくる。本など必要としない人たちが多いんじゃないのか。でも本と羊で買ってくれるいつもの人達、そしてこれから来てくれるだろうまだ見知らぬお客さんのためにも僕はここで挑み続けるしかないのだ。
つながりを期待せず、僕は僕の道を。2022年「本屋」をやめる。
やめる。本屋という考え方をやめる。「BOOKSHOP 本と羊」から「本と羊」へ。僕は屋という概念を捨て、本を通して人との関わり方を街との関わり方を自分の信じるやり方で模索していこうと決めた。本屋では狭すぎる。何か制約めいたものも感じる。だから僕自身が「本と羊」として動いていくことにした。
もちろん本は売る。でもそれだけでは息詰まるものがある。ここでの人間関係や本屋同士の関係にも疲れていた。無理に本屋を線でつないでもあまり意味のないことにも思えてきた。自然につながるその時を待つしかないのだと。
これからは僕自身がこの店からいろんな活動や発信を通して、もっと本の素晴らしさ、読むことの大事さを伝えていければと思う。そして誰かにそれが一人でもいいから伝わり、共に協力して活動していけたらいいと思う。
福岡に縛られていた気持ちも先日、東京に1年3ヶ月ぶりに行った時に考えを変えた。どちらでも何かをやればいいのでは。自分の行動範囲を狭くし、追い詰めていたものが急に消え去った気がした。2つの場所で2つの本と羊があればいい。いやもっといろんな場所に本と羊があってもいい。僕の中に微かに光が差し始めていた。
本屋から本家(や)へ。パブリックからセミパブリックへ。
確かに本屋は誰でも自由に出入りが出来る場所だ。しかし僕の考えは違う。誰でも入れるから全てを受け入れていい場所ではないと思う。それは入ってくる人のモラルやマナーを感じてのことだ。確かにわざわざ訪れる人は大事だ。でも中には買うわけでもなく、子供が荒らした本をそのままにして何も言わず帰る親たち、大きな声でしゃべりまくるだけの人達、ただ「映え」のためだけにシャッター音を鳴らすだけの人達、そして実害をもたらす迷惑な人もいる。こういった人達を僕は「お客さん」とは思わない。思えない。「招かれざる客」でしかない。
ここは僕と妻の「家」でもあるのだ。他人の家に土足で上がり込み、許可なく写真を撮り、挙句の果てに無言で去っていく。そんな本に愛のないような人達を見ていると憤りさえ感じる。それなりの礼儀はお互いに必要なのではないか。気持ちよく対応したいし、本のある場所を楽しんで帰ってほしい。公の場ではあるが一歩入ったらそこは半分は「人の家」なのだと自覚して欲しい。
パブリックからセミパブリックへ。僕の本を通しての挑戦はまだまだ続いていく。本を通して語り、悩み、そしてこれからのみんなの新しい日常を素晴らしいものにしていきたい。
オオカミは羊の皮をかぶって今日もレジの奥に座っています。
本は必ずあなたのそばにあるべきだ。(完)