『スリップの技法』という本が10月下旬に出版されるということを知った。しかも、出版社は『まっ直ぐに本を売る』や『本屋、はじめました』など本の本、本屋の本を多く出されている苦楽堂さん。どの本ももちろん面白いのだが、タイミングが秀逸なことにいつも驚いている出版社だ(『本屋、はじめました』は荻窪の話題の新刊書店Titleの店主・辻山良雄による本。開店からほぼ1年経過した頃に出版された。素晴らしいタイミングである)。
そんな苦楽堂さんがこのタイミングで『スリップの技法』を出版する。内容は書店員の教科書的な本だという。しかも、著者はフリーランス書店員の久禮亮太さん。『東京わざわざ行きたい街の本屋さん』の取材や、その前からも本と書店員業に対する愛には凄いものがあると感じていた方だ。
いったいどんな思いで書かれたのか。なぜこのタイミングなのか。久禮さんが書店部門を任されている「神楽坂モノガタリ」で話を聴いてみた。
フリーランス書店員ってどんな仕事?
和氣 まずはじめに、このフリーランス書店員というお仕事について、何をされているのか? 具体的な活動についてお聞きしたいと思います。
久禮 大きな仕事の柱を2つ持っています。1つは、今日、話しているこの神楽坂モノガタリという、新刊書店とカフェを合わせた業態の場所の書店部門を請け負って一人で担当しています。具体的には、一般の新刊書店さんと同じように取次さんから本を仕入れて、棚に出して、必要なものは返品をしたり。あとはお客さんと接してお会計させていただいり、そういう書店員の皆さんと同じような業務を一人でやっている、という感じです。
和氣 神楽坂モノガタリには毎日来られているのですか?
久禮 週3回です。それ以外の日は、カフェのスタッフもいますので、レジなどはお願いをしています。
和氣 「新刊書店の業務を請け負っている」ということですね。
久禮 もう1つの仕事の柱が、チェーン書店だったり独立系の店舗だったりと規模は様々ですが、いわゆる新刊書店の講師業をしています。現場の書店員さんと一緒に勉強会をして、僕が教えられることは教える、というような仕事をしています。
書店員の業務を最適化する
和氣 今回出される『スリップの技法』という本は、一般の書店員の教科書的な本だと聴いています。本にも、その講師業で教えている内容が関わってくるかと思うのですが、そこをお聴きする前に、まず書店員の一日の業務の流れを教えていただいても良いでしょうか?
久禮 多くの書店員さんは朝が早いと思いますが、朝8時や9時に出社すると、その日に仕入れた荷物は届いています。お店に寄りますが、段ボールで言うと十何箱くらいでしょうか。お店の掃除をした後に、それらの箱を開けて、雑誌の梱包を解いて、付録があればそれを雑誌に付けて、コミックス(マンガ)のビニール掛けを行います。陳列するための準備ですね。
お店によっては開店時間前に陳列を終えます。そのころには開店時間になるので営業が始まって、お客さんのお問い合わせにお答えしたりレジに入ったり、それぞれのお店の業務を行います。
大きいお店など午後にまた新刊の仕入れがあるお店もありますので、また荷物を空けて品出しを行います。その際にはどうしても棚から外さなきゃいけないものが出てきます。外したものはお店から出版社に返品しなくてはいけないのでその作業をします。こういった作業を毎日毎日行うというのが新刊書店の書店員です。
和氣 棚づくりはどの時間で行うのでしょうか?
久禮 お店によって、また、その人のシフトによって違うと思いますが、レジの当番じゃなくて段ボールも開け終わって銀行に行ったりなど雑務もない、業務と業務の間の時間ですね。でも、その時間は放っておくと圧縮されてどんどん無くなっちゃう。
だから、「今はこの棚と向き合ってこの棚をよくすることを考えるぞ!」という時間がなかなか取れない。「エイヤッ」と2時間くらい自分で取らないと、ごちゃごちゃした雑務の中で毎日が終わってしまうのかな、と。
和氣 そういう一日の流れがある中で講師業というのはどういったことを教える仕事なのでしょうか?
久禮 一方的に教えて済むことであれば教えます。でもやっぱり、書店って同じように見えてみんな需要が違う。一見、新刊コーナーとか品揃えが同じように見えたとしても、どの店にも違う良さや違う問題点があるので、一緒にそれぞれのお店の最適なやり方を考えることの方が多いですね。
和氣 フリーランス書店員になる前はあゆみBOOKSという書店チェーンでアルバイト時代も含めて店長にもなって18年もの間、務められてきた経験をもとに、スキルとかノウハウみたいなものを前提にした上で、そのお店の書店員さんと一緒に考えていくということですね。
では、ここで話を変えまして、この本のタイトルの「スリップ」というものがそもそもどんなもので、「技法」というのはこのスリップのどんな使い方を指しているのでしょうか?
久禮 聴いていらっしゃる方が書店員さんとは限らないですよね(笑) 説明すると、本の中ほどに挟み込まれている短冊状の長細い紙のことです。タイトルと著者名、出版社名と書籍のコードが書いてあります。会計の時に抜いてお客さんには本だけお渡ししているかと思いますので、もしかしたらあまりご覧にならないかもしれないです。
かつて、お店の品揃えがデータ管理される前は、このスリップで取次に送り返すことで在庫管理をしていました。それが在庫をデータ管理するようになって、一部では「もう要らないんじゃないか。時代の流れが変わってスリップの役割は終わったんじゃないか」という議論もあるんですけども、ぼくはそうではないと思っています。
書店には書店の現場で発生した「こういう使い方がある」ということを20年近くの書店員経験の中で考えてきたので。
和氣 では、その使い方とは?
久禮 スリップから「お客さんが何でこれを買ったんだろう?」「お店でどういう風な状態で品物が流れているんだろう?」ということを読むんですね。売れてレジで集めたスリップの束からお店の「今」を読み取るんです。そのためには、スリップに自分で書き込まないと分かりません。
どういうことかというと、例えば、品出しで棚に1冊挿すとしたら、日付とその時点で気付いたことをスリップに書いておくんです。
「この本は何度も売れているが、どのくらいロングセラーなんだろう。奥付を見ると重版を10回もしている」
といったような、その本が売れてきた実績や経緯で重要なことですね。
和氣 それはいつ書くんですか?
久禮 棚に挿す時です。例えば5冊の平積みだったら「何月何日に5冊平積み」と書く。書いておくと、売り場にいながら、自分が触った本自体にその本の売れ方が記録されていくんです。本の内容ではなく、商売としての書籍たちが、「どのくらいの日数でどのくらい売れているか」「どのくらいの期間売り続けているか」「どのくらい売れていないか」といった情報を伴ったものとして品揃えが読めるようになってくるんです。
それに加えて、例えば、「この著者であれば過去にこんな本が売れた」「選挙の時期にこの本を返品するのは良くない」といった書店員として蓄えてきた知識を合わせて考えることで、返品や仕入れの判断が経験的に蓄積されていきます。そうすることで、判断の精度が上がっていくはずなんです。
この返品や仕入れの判断の精度を上げるためのスリップの使い方を、総称して「スリップの技法」と呼んでいます。
和氣 講師業の内容が「一日の動きの最適化」だとすると、スリップについては「返品・仕入れの判断の最適化」ということでしょうか?
久禮 正直、そうやって分けて考えたことはないですね(笑)
この本では、書店員のための教科書なので、目次に従って、それぞれの業務について深く掘り下げて書きましたが、こと書店員の現場での書店員の動きとしてはそうやって細分化しては考えていません。一連の業務の流れとしてとらえています。
現場の講師業で重視しているのは全体を俯瞰資することです。例えば、一文庫担当だとしてもお店全体、場合によってはお店の外の動線や置かれたエリアの地域性、お客さんの流れなど含めて全体をどう見るか? ということです。さらに、お店の中でお客さんがどう動いているか。自分の担当の棚の中でどの商品が売れていてどの商品が売れていないのか。そういった流れを俯瞰的に把握することを目指しています。
そのためにもっとも必要な道具がやっぱりスリップ。それはバーコードでデジタル管理する機材でもできるのではないのかと皆さんお思いになるかもしれないですけども、やっぱりスリップなんです。道具を携帯して品出しをするのってすごく動きを阻害するので、ペン一本持っていてスリップがそこにあって売り場が把握できている。自分で手をかけて売り場を把握する中で品揃えについて考える時間を、品揃え作業の中に放り込んで確保しているんですね。
具体的な手法の積み上げの中で、大きな流れを把握することができたり、俯瞰的に書店を把握することができたりする。そのプロセスをひたすらこの本に書き込みました。
和氣 具体的な業務のひとうひとつを深く書いていった本になっているんですね。僕は書店員としての経験がないので、『スリップの技法』を読むことで書店員の仕事に就いて知りたいと思いました。
『スリップの技法』を議論の起点にして欲しい
和氣 最後に、この本を読んで欲しい方、これから読む方にひと言をお願いします。。
久禮 まずは全国の新刊書店に務めている方に読んでもらいたいです。「ふむふむ。なるほど」と思っていただけるのが一番ですが、一方で「そうじゃないだろう」という声もどんどん上げてほしい。
そうすることで、異論を唱えた方もご自身のノウハウを言葉にされるでしょうし、言葉になったことでその方の周囲の方々も共有できる。僕も勉強させていただきます。そういう議論の起点にまずはしてもらいたいです。
ただ、正直、書店の人だけじゃなくても、絶対面白いと思って書いています。というのも、お客さんが買われた本のスリップから「このお客さんは何でこの本を買われたんだろう」といった割とお客さんのプライバシーに触れるようなデリケートな踏み込む要素も具体的に書いているからです。本当だったら書店員の役得というか、お客さんと書店員との秘密というかそんな部分です。
この本を通してそういうことを垣間見れば、本好き書店好きであれば「なるほど。本屋の人はこんなこと考えているのか」とか「この買い方、私と凄く似ている」とか、もしかしたら次に読む本を探すブックガイド的な読み方もできるようになっています。
書店員として、ある売れた本から次に買ってくれそうな本をこう連想するんだっていう思考の道筋を見てもらえれば、「じゃあ私もこんな感じで本を探してみようかしら」っていう風に書店の中で棚を見て歩く時の参考になるかもしれません。
和氣 ありがとうございました。
最後にまとめます。なぜ僕が今回、フリーランス書店員の久禮さんに話を聴こうと思ったかというと、8/24に朝日新聞で「書店ゼロの自治体、2割強に」という悲観的な記事がありました。それに対して、悲観的なことを言うよりも、もっと具体的に「じゃあ、どうするか?」と考える方が大事なんじゃないかという方が何人かいました。
僕もその通りだと思っているんですけども、今回のこの『スリップの技法』という本は新刊書店の現場のいち書店員にその「じゃあ、どうするか?」を具体的に想像させてくれる、または具体的なアクションに結び付けてくれる本だと思ったからです。
実際に聴いてみて、本当に具体的な現場の書店員のための本だと感じることができたのは大きな収穫でした。発売後は読み込みたいと思います!
以上、BOOKSHOP LOVER TV番外編でした。