好きな店で買うことについて

本屋用ロゴマーク2

本の値段と品揃えと大型書店について

本(新刊)はどこで買おうと同じ値段である。値段という意味ではどこで買おう(それこそAmazonだろうと紀伊国屋書店だろうと街の本屋だろう)と全く違いはない。しかし、本は多品種少量生産なので品揃えが売上のキーになる。

そう考えると今の状況は分かりやすい。Amazonに品ぞろえでは勝てない。スケールメリットが違うのだから論理的に言って物量で勝てるわけがない。ところが、世の中には「やっぱり本は手に取って買いたい」という人もいるわけで、そこに訴求していくと今みたいな超大型書店が多くなってくるわけだ。ましてや出版市場全体が縮小している中でマスマーケットを相手にいている大手書店は売上を取るために短期的な効果を狙うしかない。

というわけで「超大型書店が郊外にでき、小さい本屋はどんどんつぶれていっている」というのが今の出版業界っていうか本屋業界に起きていることだとぼくは理解している(かなりザックリだが)。
(細かく見ていけば「小さい本屋さんでも頑張っているところはたくさんある」とか「大型書店だけが悪いわけではない」とかまあいろいろあるのは分かっているけれど大勢としては間違っていないように思う。ソースは面倒なのでここでは省く。)

で、である。ここから先は古本屋の話でもあるので直接は関係していないかもしれないが。(※)

閉店する本屋

最近、2つのお店が閉店する(した)ことを知った。下北沢の「ピリカタント書店」と「フィクショネス」だ(ピリカタント書店は2014年4月に閉店。と書店はフィクショネスは2014年7月23日で閉店予定)。
2店とも実はまだ行ったことがなく、また素敵な本屋だということは人づてに聞いていたのでBOOKSHOP LOVERとして悲しいことこの上ない。
どちらも行ってみたいと思っていたし下北沢によく行くのではじめて身近にある好きな本屋が閉店したことになる。今までデータや人づてでいろいろ聞いていたが、やはり他人事は他人事。自分に関わることでなければここまでの実感が湧くことはなかっただろう。
閉店の理由が売上不振とは限らないが自分の好きな本屋さんが気付かぬうちに無くなっているという経験は誰にでもあるだろうし本屋が少なくなっていくという流れを止めるのは難しいだろう。大きな流れに逆らうのは労力のロスだとも思う。

それでも、である。ぼくはぼくの好きな本屋が閉店するのをひとつでも少なくしたいし、できれば店主たちには儲かって欲しい。そしていつまでもそこにあり続けて欲しい。

「場」としての本屋が好きだ

幸いアメリカでは独立系書店が息を吹き返しているらしい。

リアルとはバーチャルと違って「場」だから、それを活かすほかにないということだ。つまり、本を買うということより、そこは本を通してほかの読者と出会う場所であったり、著者の話を聞く場であったり、サインをもらう場であったり、本とそれ以外のなにかを組み合わせた体験の場であったりしなければ、人はやって来ないだろうということだ。

そのためにもぼくはもっと自分の好きな本屋で買って欲しいとこの場で叫んでいる。雑貨でも何でも良い。それが本だったらもっと良いけど。この記事(本サイトも)がその一助となって欲しいとラブコールを叫び続けている。

これはぼくがここ最近紹介しているような本屋・古本屋はどこも意識してやっているように思うし(引用記事にもある恵文社一乗寺店なんてその典型だ)、「今までの街の本屋さん」ではなく近ごろ増えている小さい本屋・古本屋でこそ採用されている戦略だと思う。

ぼくが好きな本屋は「本を並べているお店」ではなくてそういう「本に囲まれながら何かが起きる空間」なんだ。

好きな店で買う

つまり、何が言いたいかというともしあなたに好きな本屋があるならぜひ「そこで」何かを買って欲しいしお金を使って欲しいということだ。
昨年、神戸の老舗名書店「海文堂書店」が閉店した。閉店間際にはたくさんの人が駆けつけて本を買っていったらしい。それだけ惜しまれた良い本屋だったのだろう。だが、それでは遅すぎるのだ。閉店と知ってから買ったって後の祭りなのである。
「この店、好きだなあ」と思ったら、そう思ったらすぐ買って欲しい。きっとその店でぼくたちが買っているのはモノだけじゃないはずだから。

(※) 本来は真逆の業態なので一緒くたに語るのはできないのですが本屋と古本屋をあえて分けないで書いています。言いたいことは「好きな本屋で何か買って欲しい」ということなので。

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